Thursday, April 20, 2006

下降の快感その1/the path of descent.


オイル・ピークとそれに続く石油減耗時代が言われ、それじゃあどうしたらいいのか。おろおろとしているばかりではしかたがありません。オイル・ピークを真正面から受け止め、それに対する行動を自分の足下から起こしている人がたくさんいます。昨日のニュースによれば、サン・フランシスコは全米ではじめて、オイルピークに取り組むことを宣言する都市となりました。

それもを含め、自治体の取り組みの例をいくつか、これから紹介していこうと思いますが、まずは、アイルランドのキンセールという町。今、個人的に訪ねてみたい町のナンバーワンの町です。コーク州/県の中心都市のコーク市から南へ車で約40分ほどのところにある港町で、洒落たレストランやB&Bを中心とする観光の町は「グルメ・キャピタル・オブ・アイルランド」などとも呼ばれるそうです。

ここは昨年暮れに、世界ではじめて、「エネルギー下降行動計画」を政策として取り入れた自治体になりました。しかも、「下降計画」はいわゆる「プロ」のコンサルタントや専門家が作ったものではなく、コミュニティのなかからボトムアップで作られたものです。考えてみれば、ピーク以後の暮し方のプロや専門家なんているわけがないのですが、この計画も町の学校を中心にオイル・ピークを正面から受け止めた住人たちが作り上げたものです。サン・フランシスコでも原動力は市民です。


それぞれの人間が下降への道筋を意識的に探ることは、市民社会の存続にも関わります。ピーク以降の時代の暮し、社会のあり方を先手、先手で考え、実現させていかないと、インフラの崩壊、食料供給網の崩壊などを通して急激に秩序が乱れることもあり、それをきっかけに軍政だとか、少数の人間による専制型社会になることも十分予想されます。現在からを住人ひとりひとりが参加して、下降への道筋を作り始めなければ、民主的な市民社会が崩壊する危険もあります。ピークの影響は広範にわたり、民主制や市民社会がぶっ飛ばされてしまうこともありえます。

そして、ピークの影響を緩和する策を現実化するのには時間がかかります。かつては複雑に入り組み、近隣社会を支えていたローカル経済体制は、(アブラに頼る)グローバリゼーションの結果、ほとんどの場所で解体されてしまいました。壊すのは簡単でしたが、再生するのはなかなか大変です。だから、取りかかるのが早ければ早いほど、まだ、オイル資源がまだ残るうちに手をつければ、それだけピークのインパクトを緩和することができます。

なお、ピーク以降の時代に予想されることのひとつは、均質的なグローバリゼーションの崩壊です。安いオイルのおかげでこれまで隠されていた「距離」や「地元の環境の制約」が再び、姿を表します。そういう時代への対策も、どこか別な場所でうまく機能したものが別の場所でそのまま使えるとは限りません。それぞれの町で探られている方法の裏にある原理を読み取り、自分の現場、現地で応用してください。

文中に出てくるドキュメンタリー映画、『End of Suburbia(都市郊外型暮しの終焉)』はピーク問題を取り上げるもので、うちでも購入し、何度か近所で上映会を開いています。商業的に配給されてはいないものの、DVDを購入した人たちが友人、知人を集めて一緒に観る。または地域社会のグループが上映会をやるという形で想像以上の人が観ているようです。ピークを理解し、その問題を理解するのにとても分かりやすいので、是非、日本版の制作が望まれます。興味のある方は、連絡を下さい。

文中に出てくるように、ホプキンスは町のFECでパーマカルチャーを教えていました。Further Education Collageというのは公立の技術学校/職業訓練所のようなものでしょうか。キンセールの町の「エネルギー下降行動計画」の原案を作り、練り上げ、地域社会を巻き込んでいく過程にもホプキンスの生徒が大きく関わりました。パーマカルチャーは危機意識を内包しているってこと、特にエネルギー危機を想定した考え方であるということは以前にも触れましたが、こういうふうに、社会変革のきっかけとなる可能性も秘めています。そいういう意識が根底にあることを理解すれば、創刊20年を迎えたイギリスの「パーマカルチャー・アクティビスト誌」が最近、オイル・ピーク特集号を組んだのも当然のことです。

各地での取り組みの参考のために、その特集号から、キンセールの町のエネルギー下降計画策定に加わったロブ・ホプキンスの記事を二度に分けて紹介します。

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原文:http://transitionculture.org/?p=266#more-266

旅人よ、道なんてものは最初からあるものじゃない。道は旅する者が作り出すものだ。(スペインのことわざ)

●ピーク到達

世界の石油生産がピークに達しつつある、またはすでに達したという認識が広まりつつあります。環境問題には16年、パーマカルチャーに関わって13年間にもなるというのに、どうしていままで気がつかなかったんだろうかと自問しています(読者のなかには、気付いていた人もいることでしょう!)。その影響は意味深長です。

リサイクルに長距離の輸送をしなければならないとしたら、「もっとリサイクルを!」なんて言っててもだめです。私たちはゴミの問題を根底から考え直さなければなりません。

最近出たティム・ラングとジュールズ・プリティによる素晴らしい報告書「英国における一週間の買い物かごの本当のコスト:農産コストとフードマイレッジ」によれば、消費地から20マイル以上はなれたところで生産された食物は持続可能とは呼べないとしています。

私たちは、ほとんど何もないところから、食物のローカル経済を作り上げなければなりません。歴史的には、人口の7割程度がなんらかのかたちで食物の生産に関るのが普通でしたが、最近は6%(アイルランドの数字)だけです。そしてほとんどの人は、食物生産の知識を失ってしてしまいました。

エコな建築だと言っったって、「エコ建材」をドイツやデンマークからの輸入に頼っていたら、なりたちません。それどころか、身近に差し迫るエネルギー低減時代に備え、エネルギー効率のよい住居作りについて再考する必要があります。再ローカル化ヘの取り組みが急務であり、食物、暖房、住居、水など、人間の暮しのニーズを地元で賄うこと、それらの供給を通して地域経済の立て直すことに取り組まなければなりません。かつて多様で複雑だった地域経済は、この5、60年のあいだにすっかり解体されてしまいました。壊すのは簡単でしたが、作り直すのは信じられないほど困難です。

いくつもの賞を受賞したドキュメンタリー映画『End of Suburbia(都市郊外型暮しの終焉)』は、オイル・ピーク問題について全体を俯瞰し、非常に考えさせられる作品です。

ピークがほとんど想像も及ばないスケールであり、その対策がまったくとられていないこと、もしくはまったく不十分であることを映画は伝えています。私たちの生活はあらゆる側面で、大きく油に依存しています。それが徐々に(急速に、という人もいる)ではあれ、確実に姿を消していく時、私たちは地域社会、そして自分達の暮し方を再設計しなければなりません。工芸、地元の薬、そして食物を育てる術など、私たちの先祖の生活を支えた技術をもういちど、学び直さなければなりません。これは、大きなチャレンジです。これは、もっとも大きなチャレンジです。

●問題の認知

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私がこういう認識に至ったのは、コリン・キャンベル博士に出会ってからです。キャンベル博士は、私が最近まで暮らしていたコーク西部のバリデホブに暮らしており、石油ピーク研究協会(ASPO)を設立し、運営していました。彼は30年以上、石油業界で働き、引退してからASPOを通じ、油がどれだけどこに残っているのか、どれだけ採掘可能なのかなど、正確な知識を得るために専念してきました。人類がオイルピークに達しつつある、そういうメッセージを世界中の政府関係者、投資銀行家、エネルギーの専門家などに告げ、世界の注目をピークに引き付けたのは彼の疲れをしらぬ活動でした。すべてが変わってしまうので、それぞれの活動を再評価する必要がある。彼の人生とオイル・ピークに関する意見は近著の『Oil Crisis(オイル危機)』に詳しく描かれています。

私は2001年から去年の6月まで、キンセールのFECで実践持続可能術Practical Sustainabilityコース(私の知る限り、世界で初の2年間のフルタイムのパーマカルチャー・コース)を教えていましたが、そこへ一昨年の9月、コリン・キャンベルを招きました。パーマカルチャーを一年間学んだ2年生に話をするために来てもらったのです。学生たちは、コリンの講演の前日、『End of Suburbia(都市郊外型暮しの終焉)』を見ました。コリンは学生たちに石油地質学を初歩から解きあかし、石油がどんなふうにどこで形成されるのか、そして、現在どこにどのくらい残っているのか、話しました。彼のプレゼンテーションは石油業界での経験で培った深い知識に基づくもので、非のうちどころのない説得力のあるものでした。それは、学生だけでなく、私にとっても目から鱗が落ちる講演でした。しかし、翌週同僚からは「あなたのところの学生、先週の後半、みんな顔色が悪かったけど、何かあったんですか」って、尋ねられてしまいました。

●最初の一歩

「エネルギー下降行動計画」は、これが契機でした。

「エネルギー下降」という言葉はもともと生態学者のハワード・T・オーダムが『Prosperous Way Down(繁栄した降り方)』という本で使ったもので、その後、デビッド・ホルムグレンが『Permaculture, pathways and principles beyond sustainability(パーマカルチャー:持続性の彼方への道筋とその原理)』という非常に大切な著作で使いました。これは、ピーク以降、入手可能なエネルギーが低下していく時代のことを指しています。下降を行き当たりばったり、混沌とした展開に任せるのではなく、計画的に行う必要性をホルムグレンは説きました。計画的な下降が重要なことはリチャード・ハインバーグも近著の『Powerdown:options and actions for a post-carbon future(出力低下:脱炭
素時代の未来への選択と行動)』で強調しています。彼は低炭素社会への取っ掛かりとして、戦時中の総動員に匹敵する規模で、オイル・ピークに対する国際的な対応の必要性を呼び掛けます。

同じ頃、もうひとつ、私を触発したのは、アイルランドの北部の過疎に悩む小さな町で、とてもダイナミックに地域社会の開発に取り組む女性の講演を聞きに行ったことでした。農業は瀕死の状態にあり、彼女らのグループは持続可能性に焦点をあわせた方向で、新たな町起こしを考えました。招いた持続可能性の「専門家」はエコツーリズムの開発を説き、それが農業に代わる持続可能な方策であると言ったのだそうです。私は、これを聞いてぞっとしました。ひとつの産業から別な産業にコミュニティを移行するっていう発想、「エコ」って名札がついているってだけで、それがあたかも良いという発想にぞっとしました。しかも、それらのアイデアが地域社会から沸き上がったものではなく、「専門家」が持ってきたものなのです。村人にパーマカルチャー・デザイン・コースを受講してもらい、アイデアが地域社会のなかから沸き上がるようにしたほうがずっとたくさんのことが達成できる、私はそう思いました。

この主題について、私は学生たちと手に入る本を読みあさり、この問題に取り組んでいる自治体の例がないということに気がつきました。世界中で、エネルギー消費の頂きから下り道を設計し始めたところは、あるだろうか?キューバの例はしばしば引用されますが、それは偶然の産物であり、それまで国を支えたロシアから油の供給が止められ、ローカル化に追い込まれたことを忘れてはなりません。さらに、最近キューバを訪れた友人によれば、たくさんの人々が熱心に取り組んでいるわけではないという感想でした。

第二次世界大戦以前と戦時中の英国での経験からも、おもしろい比較ができます。それは国家規模でのパワーダウンでしたが、食物の1割がそれぞれの家の庭や共同菜園で生産されました。いろいろなことが大きく変わりはしましたが、その経験から、いろいろ重要な教訓を学ぶことができます。

実例を見つけることができなかった私たちは、オイル・ピークが町の生活に実際どのような意味を持ち、来るべき低エネルギー社会はどうあるべきか、自治体が取り組む例を作り出すことにしました。下りへの道筋がどこにも見つからないので、私たちは一からそれを作り出さなければなりませんでした。

(続く)

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