Friday, December 22, 2006

泰安洋行/Bon voyage.

船に乗る日が刻々と近づいてきていますが、このぼちぼちとやってくる感じがたまりませんね。飛行機とは違います。スローでいい感じ。いまだに26日の出航というだけで,時刻はわかりません。あんまり,朝が早いと大変だろうな。前の日はクリスマスで、きっと,あんまり仕事している人もいないだろうなあ。うーん,どんどんと心配になってきて,数日前に確認の電話をする。船が出る埠頭はそれでわかりましたが、出航時刻のほうは22日になんないとあんまりはわかんないねえと言われてしまいました。

埠頭はシドニーの南のはずれにあり、電車の駅も近くにない,一度も行ったことのない場所。どうやって行こうかしら。出航時間は潮の影響だとか,積み込みの具合だとか,タグボートの状況だとか,諸々に影響され,もっとあとにならないとわからない。このいい加減さ,嬉しくなります。船旅の遅さに体を慣らして行くのを、はい,楽しんでます。

なんて言いながら,のんきに構えていたんですが、今朝,港に電話したら,出港が早まったそうで、なんと明日。ひえーっ。一気にいよいよだ。いざという時のための水泳の練習もしていないってのに。

これから何ヶ月になるかわかりませんが,ほとんど宿無し、あちらからこちら,風の吹くまま気の向くまま,バックパックとピンクのサムソナイト片手にふらりふらりと風来坊生活にはいります。

今回の旅行からは、一応,何ヶ月かあとに戻って来るつもりですが、ピュータはもっていかないので、ブログは休みになります。

というわけで、ちょっと早めですが,はい,今年もお世話になりました。皆様、健康で幸福な新年をお迎えください。

Tuesday, December 19, 2006

山頂より:その3/a peek from the peak #3.

「石油専門家の中にはピークをすでに過ぎてしまった,ピークは今だ、いや、2010年までには訪れるだろうと言う悲観者もいる。楽観的に見ても、2020年とか,せいぜい2030年まで,世界にもう少しだけ,息をつく時間を与えてくれるだけだ」。
これは、OPECの重鎮の一人,リビア国営石油会社の委員長,ショクリ・ガネム(Shokri Ghanem)の発言です。

「しかし、まあ、世界のピーク生産がそれほど遠いことではないという点では、ほとんど合意しているようだ。それはこれから10年のうちに到達するかもしれない。ということは,世界経済が石油に大部分を依存することが出来る時間はあまり残されていないということだ」。
最新のOPECブレティンのp60に記載されているそうです。
ちょっと時間がなくて,原典にあたっていられませんが,todヨーロッパへの寄稿者,ジェローム・ア・パリのデイリー・コスへの記事からの引用です。

時間はあまり残されていないということは,ピーク問題に取り組める時間もあまり残されていないということです。石油にまかせっきりな生活はかなり、危うくなっていることは間違いありません。OPEC内部からの発言を真剣に受け止め、すぐさま、脱アブラな生活の構築に取りかからないと,時間がなくなるぞ。

Monday, December 18, 2006

(日豪プレス新年号の原稿)

(日豪プレス新年号の原稿)


あけましておめでとございます。
本誌「日豪プレス」も創刊30年ということで,まあ,めでたい限り。

いまから四半世紀以上前,シドニーにたどり着いたばかりで,ほとんど右も左もわからないのに、ダブルベイにあった編集室に押し掛け,勢いにまかせて、知ったかぶり、あれやこれや,あることないことでっち上げ,ページをもらったこと、つい昨日のことのように思い出します。

その頃,本誌もできてから4、5年だったんですね。なんだ,それならもっと高飛車に出てもよかったな。そんなことも知らなかった。とにかく,本誌は唯一無二の日本語メディアでした。

その頃から,隙間を探すのが得意だったんでしょうね。いまに比べると、ぺらぺらだった本誌の中に,文化を紹介する記事は坂井さんの連載する映画ものだけだと見て取り、音楽の記事なんかどうですって,言いよったのです。他人と既存の分野で競争するのはあんまり得意じゃありません。まあ,勝ち目がないので,それなら,自分の分野を作っちゃえっと。そういう腹でしたけど。

そうやってでっち上げて,はい、最初は音楽のこと,しばらく書かせてもらいました。連載2回目とか3回目で取り上げたミッドナイト・オイルってバンドのつるつる頭で,調子っぱずれな歌い手が野党の国会議員に当選し,環境/地球ゲテモノ化担当に任命される、今年の選挙で労働党が間違って勝ったりしたら,大臣ってんですから,時代も変わったものです。はい。んな昔の話です。

そうそう、あの記事でしたかねえ。ちょうど創刊したばかりの「地球のXXき方」ってガイドブックの編集の人間がこの国へも取材に来てて,ちょうど記事を見て,いくつか書いてほしいって話になって。それで、あのガイドブックの取材のために国内をあちこち回りました。それなりの評判だったようですが,すべてのきっかけは日豪プレスにあった,ということになりますね。

80年代の前半,インディのシーンも盛り上がってましたから,バンドを見に行くのが楽しくてたまりませんでした。ザ・バースディ・パーティとかゴー・ビトゥインズ,ラーフィング・クラウンズ。現在では「伝統の」なんて言われる連中が、夏になり,拠点としていたヨーロッパから戻ってきて,そのコンサートに出かけるのがフーブツシでしたから。んで,連中のいない間も,それなりにあれやこれや,おもしろバンドがぽこぽこあって,それらを見にでかけ,書いたりすることはとても楽しいことでした。

勢いのある時代だったと思います。パンクな時代というか、「ごちゃこちゃとしゃらくせえ、やっちゃえ」って。そんな「気合い」が通じる時代だった。シドニーの国営ラジオ局で,日本の現代音楽などを紹介する番組をやり始めたりしたのも,ちょうどその頃ですが、やっぱり,強引に,押し掛けて,あることないこと、でっちあげて丸め込んだ結果ですが。一度味をしめてしまうと、なかなか,やめられません。

音楽シーンの後ろには,マルチカルチャー、多文化主義を奨励する空気が漂ってました。「移民が持ち込む文化」をそれまでのように否定するのではなく,「違い」を尊ぼうという空気の流れがありました。単一で薄っぺらな文化社会からの脱皮の動き,と言えるかもしれません。なんでもありってな気風。

本誌を含め,エーゴ以外の言葉による出版や発言,文化の維持が奨励された時代で、移民テストが導入され,エーゴをしゃべるのは当たり前、そうでなけりゃ「非国民」だ,非オーストラリアだ。そういう押し付けがましい臭気がぷんぷんとする昨今とは比べ物にならない,活き活きとした時代でした。日本など,「ガイコク」からのテレビ番組を字幕で放送するテレビが出来たのもこの頃ですね。

そのうち,音楽シーンもしぼみ始め,本誌に書くのもだんだん億劫になってきて、確か,しばらく「休養」し、それから友人たちと作り上げた段ボール紙作りのキャラクターを抱え,シドニー各地を私的に観光して回る、何ともはやあんまり分けのわからない内容のページを書かせてもらいました。キャラを砂浜に寝かせてみたり,自殺の名所や、その頃設置され始めたばかりの「使用済み注射針ポスト」なんかの横に立たせ写真を撮る。その写真に、ほとんどまったく意味をなさない観光記録の文章をつける。そんな内容だった,と思います。

あの頃,事務所を一緒に借りていた連中と酒を飲みながら、出てきた企画ですが、同じキャラを漫画にしたり,tシャツ作ったり,何年続いたのか,覚えてませんけど,かなり長続きした「遊び」の一環でした。自分の暮らすシドニーのあちこち,探検して回りました。現在なら「保安上の理由」とやらではいれない場所にもいろいろ出かけ,それはそれで面白かったのですが,しばらくすると、探検したい場所もだんだんなくなります。

ちょうどスキャナーとかフォトショップが出始めた頃で,キャラクターはデジタルに変身し,「写真」の中に取り込めるようになり、そんなのを何回か。最初は面白かったけで,最後には、キャラクター自身、デジタル化した機械の中を都会の中のようにさまよう,確か,そんな写真で終わりにしたような気がします。あれが本誌との関わりは最後、かな。

ちょうどコンピュータを使い出した頃。いまからは信じられないほど旧式な機械の話だけど。

本誌とつきあい始めた頃は原稿用紙に鉛筆で手書きしてた原稿もそのころには、ワープロで打ったりするようになっていました。最初の頃は書き終わると,ダブルベイにあった編集室から誰か、とりにきてくれたり、自分で届けてました。最初は自分で出かけることが多かったですね。編集室には日本から何日遅れかで届く新聞が積んであったので、原稿をもってったついでにお茶をいただきながら,それをまとめて読む、なんて楽しみもありました。いまならネットのおかげで,日本の情報も家にいながらにして,ものすごい量が手に入ります。でも、情報なんて,集める気にさえなれば,方法はなんでもある,

編集室にはバシャンバシャンとタイプを打つ音がしてました。ホシさんやモトコさんやマサコさんとか専門のタイプうちの人が、手書きの原稿を読みながら、ひとつひとつの活字を拾う,そんなタイプの時代でした。字は汚いし、意味不明なことばかり書いていたから、印刷された誌面をみると誤字がたくさんあった。もともと,ほとんど意味にならない文章なので,気のつくひともいなかったし、自分でもアナログ時代のそういう誤解を楽しんでました。

手作業による誤解は、ワープロで原稿を作るようになると,少しは減ったけど,それでも時々ありました。だって、原稿はワープロ書きになったけど、タイピストの人が活字を拾って印刷用の文字にする作業はまだまだ、続いていましたから。最後の記事で、メインのキャラは確か,コンピュータ・チップの林立する中で立ち尽くすって格好だったけど,実際の誌面作りは,んなふうにひとつひとつ、アナログで手作りだった。

それから本誌を読むこともほとんどなくなり、オーストラリアの都市文化にも飽きてしまい,シドニーの季節のなさに耐えられなくなり,地球の患うビョーキに気がつき,人生もエネルギーという観点から見ることが多くなりました。シドニー郊外,標高千メートルの高原の町外れに暮らし始め,そろそろ10年近くになります。

その間に,あれやこれや,それまで考えていたこと,知ってしまったこと,などなど、エーゴや日本語で本を何冊か書きました。でも,もともと行動主義なので,庭をふらふらし,パーマカルチャーを学んだり,バイオダイナミック農法の本を読んだり,しまいには、ここからまたさらに西へ1時間半ほど行ったところにある場所に農場を買い,本格的に確固たる生活を築こうと画策もしました。でも,オーストラリアは首根っこまでズッポリと,干ばつ。ありゃ。水がなけりゃ,植物は育たないし,それをエサとする動物も育たないことに改めて気がつきまして、はあ、これは困ったぞ。

そんなこんなで、オベロンの農場を昨年末に売り払い,今年は「環境難民」の走りじゃないか,そんな気もしますが,湿潤なみどりの大地を求め,ちょいと,あちこち,ふらふらする予定です。水がなければ,水に流すなんて,粋な芸当も配慮も出来ない、じゃないですか。その顛末は、またいずれ本に書くつもりです。

ま、オーストラリアの将来がどうであれ,多民族社会のいく末がどうであれ,オイル・ピークもタイピストの誤植も、そんなこたあ、どうでもいい。

日豪プレスの創刊30周年、めでたいめでたい。坂井さん、お疲れさま。

Saturday, December 16, 2006

2つの国歌/ two national anthems.

いやあ,アオテロアは懐が深い。おもしろい。
普通の国だと国旗や国歌はひとつに決まってます。どこかの国ではそれを強引に押し付けています。ああ,醜いったら。なぜ,ひとつじゃないとまずいんでしょうね。どうして歌や旗がいくつもあったらまずいんでしょう。

アオテロアは世界でもまれな国です。なんと国歌が2つある。ひとつは「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」。オーストラリアではこれが廃止されて,いまの「アドバンス・ペケペケ」が採用されたが,ニュージーランドでは英国と共有するの国歌を残しながら,もうひとつ,「ゴッド・ディフェンド・ニュー・ジーランド」である。しかも,こちらはマオリ語バージョンもある。うーん。深いぞ。

「ゴッド・ディフェンド・ニュー・ジーランド」は1876年に南島のダニーデンで初めて演奏された曲で,それから延々と歌い継がれ,1940年の百周年を記念して「国民歌」に指定された。国歌がナショナル・アンセムなら,国民歌はナショナル・ソングだ。歌が最初に演奏されて100年を迎える1976年,この歌はソングからアンセムに昇格します。

使い分けは,微妙で,ニュージーランド(英国兼任)の王族のいる席では「〜セイブ・ザ・クイーン」が演奏され,オリンピックなどニュージーランドの国威発揚の場では「〜ディフェンド・ニュー・ジーランド」だそうです。また、両方,演奏されることもある。

ふむ。この辺の使い分け,ぜひとも,現地で体験してみたいものです。

Friday, December 15, 2006

アオテロア式の四股踏み/Haka!

アオテロアからビクトリア州の山火事に消防士が派遣されていることは両国が一衣帯水の関係であるという文脈で,前に書きました。

そのくらい,近いのですが,うーん,こういう写真を見ると両国の間にはそれでも一定の距離がある,違いがあるって感じます。消防士たちがハカをやっているところだそうです。

相手を威嚇する儀式で,アオテロア式の四股踏み、でしょうか。手を叩き、足を踏み鳴らし、声を上げ,気合いを示します。ハカはスポーツの場では有名ですが,迫り来る山火事を前に,ハカ。タスマン海のこちら側では目にすることのない気魄のこもった儀式です。すごいノリだなあ。
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SMHより。

さあ,あと10日で家を出て,自ら望んで宙ぶらりんでホームレスな状況にはいります。旅から旅への旅烏。アオテロアの消防士たちのように気合いで臨まないとなあ。

Wednesday, December 13, 2006

暗黙の秘密/Vanunu in a 'democratic' state.

「失言」とやらががぽろり,ぽろり、同じ時期にいくつも出てくると,なんか,そこにある種の意図的なものを感じてしまいます。もちろん、イスラエルの核兵器の開発,保有は、今時、誰も疑うものがいない暗黙で公然な秘密です。みんな知っているけど,おおっぴらにしゃべっちゃいけない,ってやつ。しーっ。
イスラエル政府を支持する米国政府やイスラエル政府のトップから,この時期に「国家機密」ががまとまって暴露されると,理由は何なんだろうって,考えちゃいます。イランへの威嚇なのでしょうかねえ。しーっ,しーっ。

理由はともかく,最初に「失言」したのはラムズフェルドの後がま,新国防長官のロバート・ゲーツ。今月5日、上院軍事委公聴会で、「イランは東にパキスタン、北にロシア、西にイスラエルという核兵器保有国に囲まれている」とぽろり。

イスラエル政府はこの発言を非難しましたが、二番目の「失言」の主がイスラエルのオルメルト首相だからたまらない。11日に放送されたドイツのテレビとのインタビューで、自国を核兵器保有国の中に挙げてしまいました。

訪問先のドイツで、「イスラエルに核があるから,西側はイランの核開発に強い態度をとれないのではないか」と質問されたオルメルト首相は次のように応えています。

「イスラエルは民主国家であり、他国を脅したりしない。しかし、イランはイスラエルを地図上から消滅させると公言している。(そのイランの)核兵器保有を、米国やフランス、イスラエル、ロシアと同列に論ずることができるのか」と。

まあ、イスラエル政府が躍起になって言うように,これらの国は「核兵器保有国」ではなく、「民主国家」なんだ。そう読めないこともありません。でもなあ。米国やフランスはともかく、ロシアやイスラエルが「民主国家」ってのは、いくらなんでもなあ。強弁すぎやしませんか。

民主主義国家では最低でも,「言論の自由」が保障されているはずですが,イスラエルにはそんなそぶりがちっとも見えません。イスラエルが曖昧に口を濁したがる「核兵器開発/保有」を1986年に公表した内部告発者、モルデハイ・バヌヌは海外で拉致され,国家反逆の罪に問われ,18年間投獄され(うち11年は独房)ました。こんな国が「民主国家」ですって?この「民主国家」では,「公然の機密」をぽろりとやったオルメルト首相もバヌヌと同じように反逆罪に問われるのでしょうか。

バヌヌは,2004年に釈放されたあとも,海外渡航を禁止され,外国のジャーナリストとの接触を禁じられ,事実上,自宅軟禁状態にあります。このたびのオルメルト首相の「機密暴露」をどう思っているのかな,と思ったら,今朝のラジオで発言していました。

外国ジャーナリストとは接触禁止なので、そのかどで,また逮捕されるかもしれない危険を冒しながら,バヌヌはオーストラリアのABCラジオのインタビュー(テキストオーディオ)に応えています。


そのなかで、バヌヌは「これで,イスラエルに核があることがはっきりとした」のだから、自分がが20年前にやったことが正しかったと認めることを要求しています。そして、「20年にわたる拘束から解放し,私を自由にしてほしい」と。

さてはて。米国、フランス,ロシアと並び「民主国家」を気取るイスラエル政府は、この呼びかけにどう反応するのでしょうか。

ラズベリー三昧/a bower in the garden.

今年もラズベリーをむしゃむしゃと食べる季節がやってきました。何年か前,ほんの数本、苗木を植えただけ、ほとんど何も世話らしいこともしていないのに,ラズベリーはよく育ち,毎年毎年,実を付けます。気候にあうんでしょうね。地域や気候にあう植物が毎年毎年,こうやってたわわに実を付けてくれると,金なんかちっともなくてすかんぴんなのに、あんまり気にならなくなります。

12月の初め,夏の始まりとともに実が真っ赤に熟しはじめると、庭にいるのも楽しくなります。ちょこっと作業をしてから,実を口に入れる。甘酸っぱい味が口に広がるのを楽しみながら、次の作業に取りかかります。

そんな日が何日かすぎ,ちょっと暑くなると収穫は本格的になります。小さなバスケット片手に、熟したのを摘んでいく。友人がやってくれば,むしゃむしゃ、やりながら,一緒にかごに摘みながらおしゃべりを楽しむ。1時間もすれば,1キロから2キロ近くになります。

八百屋では小さなプラスチックのパネットに150グラム入りが並んでいます。5ドルから6ドルもします。なので小売価格に換算すると毎日,30ドルから40ドル近い収穫があることになります。

毎日、毎日,そういうラズベリー三昧な日がクリスマスの頃まで,2〜3週間くらいは続きます。

んでも,現実的には、毎日毎日,そんなに量は食べられるものじゃありません。どこか,友人のところへお邪魔する時にお土産にしたり、近所へもお裾分け。それでも残った分は,ビンにつめて真空保存。来年,また食べられる夏になるまで,時々,ビンをあけ、夏の味を楽しみます。

今年はラズベリーだけでなく、桑の実も食べきれないくらい,たくさんなりました。こちらも、指を紫色に染めてほおばりながら,かごに摘んでいきます。その手を休め,ふっと見上げると,上の方では鳥たちも宴の真っ最中。いろんな種類の鳥が桑の実をついばんでいます。

よく見ると,サテン・ニワシドリもいます。サテン色したニワシドリ。漢字で書くと庭師鳥、エーゴではbowerbirdと呼ばれる鳥です。

この鳥のオスは木の枝などを拾い集めてきて,手の込んだ「あずまや」を作り上げます。それは見事な「建築」です。あずまやにいたる通路や周辺の「庭」は、青い色で飾りたてられます。「庭師」と言われるだけあり,その庭の飾り付けもなかなかです。ニワシドリのオスが「庭」を飾り立て、「あずまや」を作るのは,もちろん、メスの関心をひくためで、季節になるとせっせと「愛の巣」作りに励むのです。

「あずまや」はお隣の薮のなかで,何年か前に見かけたことがある。いまでもあそこにいるのだろうか,あとでのぞきにいこうかな,なんて、思いながら庭を歩いていると,一角に,「青」が散らばっています。

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近寄ってみると,あらあら、あずまやが一軒。木の枝作りのあずまやのまわりには紙くずに布の切れ端,洗濯バサミ、ソフトドリンクのふた。どこから集めてくるのか,と思うくらい、青い色に飾られています。

しばらくの間,じっと見入ってしまいました。
拡大してみるとわかりますが,このあずまやもとても巧みで、まねをしようと思っても出来ないでしょうね。

ラズベリーもいいけど,青い実のなるブルーベリーとか、育ててみようかしら。この辺の気候にはあうのかな。

Tuesday, December 12, 2006

安い石油時代のたそがれ/The end of cheap oil

現役の政権担当者で、オイル・ピークの存在を公式に認める人間はあまりいません。
国政レベルとなると,アオテロアのヘレン・クラーク首相くらいでしょうか。現役の政権担当者には、それなりの政治的な意味がともなうので,往々にして,こういう発言ができないものです。
そういう首相のもとですから、エネルギー相(環境問題相兼任)のデイビッド・パーカーがピークと気候変動について、かなり突っ込んだ話をしていること自体は驚くことではないかもしれません。でも、「いずれピークに達することは間違いなく,政策的な見地からすれば、与えられた時間は限られています」って、まさにその通り。

タスマン海のこちら側,気候変動にようやく重い腰を上げ,足を引きずるように場当たり的な策を発表するだけの政府のもとで暮らしていると、パーカー大臣の言葉は輝いて聞こえます。現役の大臣の発言にはひとつひとつの言葉に責任をともなうわけで、軽々しいことは言えません。それでも,ここまで踏み込んだ発言を期待することができるんだ、そういう希望の文脈も含め、下記にパーカーのスピーチを10月30日に発表された政府発表のテキストから全訳します。

この発言は南島にある2つの都会,クライストチャーチとダニーデンの間にある人口303人(2001年の国勢調査)の小さな村で開かれたエネルギー・フォーラムにおけるものです。日本初のピーク専門ブログの「ん!」ですでに一部紹介されていますが,アオテロア政府のサイトより,全文,下記に紹介します。

アオテロアへの期待を過度に膨らませることは慎まなければなりませんが,日本やオーストラリアでも現役の大臣がこう言う発言をできるようになると,少しは世界も変わるのではないか,そう思いませんか?

パーカーのスピーチのあとですが、11月4日に、南島のリグナイト(泥炭)を開発すれば、これから300年間は国内の交通燃料を賄えるという内容の報告書が経済開発省から発表されました。その報告書は「これを開発すれば,他の国で炭化水素燃料が枯渇したあとでも我が国には燃料が十分残っているだろう」と報告していますが,それについて、パーカー大臣は「リグナイトがあることはすでにわかっている。しかし、この報告書は経済というきわめて狭い見地からのものであり、二酸化炭素排出など環境への影響を考慮していない」と開発に否定的な見解を発表しています。

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今晩ここで話す機会を与えていただき,ありがとうございます。私は、メディアを通じあなた方の団体の活動を注視してきましたが,将来のエネルギー需要、その供給をどうするのか、そういう議論にイニシアティブとリーダーシップを発揮してきたことに感心しています。

エネルギー担当大臣として、私には、国民が手頃な価格でエネルギーを獲得できるようにする役目があります。同時に、気候変動担当の大臣として、エネルギー生産、輸送、工業や農業から排出される温暖化ガスを減らす役目があります。これら、私に課されたふたつの役目は、今日ここで行われる議論に関連します。

たくさんの質問があるかと思いますし、私も皆さんの意見を拝聴したいと思いますが,まず,この問題に関する政府の立場を説明させてください。

●オイルピークについて
皆さんの一番の関心はオイル・ピークと、石油がますます高くなるにつれ、社会,特に皆さんの暮らす地域社会はどう対処すればいいのかということだと思います。

オイルピークというのは、通常原油の世界的な生産がピークに達する時のことを指します。世界的な原油生産がピークに達してしまえば、原油の日産は時間とともに減少していくと予想されています。

ピークがいますぐに訪れるならば,大変なことでしょう。私たちの社会は何十年にもわたり、アブラと天然ガスを生活の中心要素として、その消費を増加させてきました。最近の需要増加は、著しい速度で工業化する発展途上国(特に中国)の需要の伸びに拍車をかけられてきました。

通常原油が生産ピークに達するのが来年のことなのか,それとも、これから十年から二十年のことなのか,議論の余地はあります。しかし、いずれピークに達することは間違いなく,政策的な観点からすれば、どちらにしても、与えられた時間は限られています。

原油価格の上昇で油田の探査は刺激され、これまで非経済的と見られた油田の生産が可能になります。価格の上昇やテクノロジーのおかげで、天然ガスや油母頁岩(オイルシェール)、亜炭などからも液体燃料の抽出が進むでしょう。これらの非在来型のアブラ源は莫大な規模になります。通常原油がもたらした「安い」アブラはピークに達するでしょうが,化石燃料全体についてみれば、世界にはこれから二、三十年くらい、使える量がたっぷりとあります。

●エネルギー安全保障
もう一つの懸念は、エネルギーの安全保障の問題があります。国際的な観点からすると、それはアブラの供給が中断する懸念を指します。世界の石油生産の多く、そして、これまでに発見された石油埋蔵のほとんどは,中東など地政学的な心配のある地域にあり、石油供給の中断はあり得ることです。

「安い」アブラのピークとエネルギー安全保障のおかげで、アブラの供給が途絶える、値段が上昇することを心配する人もいます。政府はアブラの安定供給に対する脅威について、懸念を抱いてはいますが、アブラがなくなるということは考えていません。

アブラなどの化石燃料はこれからも手に入るでしょうが、これまでのような使い方を続けていくことは望ましいことではありません。

なぜでしょうか。

●気候変動
政府にとり、より深刻で差し迫った問題は気候変動であり、だからこそ、我々は国を挙げて温暖化ガスの生産を減らすことに,積極的に取り組まなければならない理由です。
もし,世界が温暖化ガス排出にブレーキをかけなければ大変なことになる、海外のエコノミストが警告するのをつい最近,耳にしたかもしれません。(註:スターン報告書のこと)

ニュージーランドのように農業に基づく経済は、変化し不安定な気候に特に経済的な影響を受けます。気候変動は、かんばつが起こりやすい地域ではより多くのかんばつを引き起こし,洪水が起こりやすい場所ではさらなる洪水を引き起こします。水と大気に関する国立研究所による調査によれば、ニュー ジーランドの東部のほとんどで、これまでは二十年の周期だったかんばつが2080年代までには五年間隔になるだろうと予想されています。かんばつが時には二年連続で起こることも予想され,そうなると、回復する時間は与えられません。

最近では1997年から98年にかけ、大きなかんばつに襲われましたが、経済への影響は10億NZドルに上りました。2004年2月の洪水の損害は3億ドル以上に上ると見られています。こういった種類の出来事がずっと頻繁に起こるならば、我が国の農業はどうなってしまうのか、とても想像することができません。気候変動は、我々の世界が持続可能な生き方をしていないことを示す兆候です。それは私たちが取り組まなければならない問題であり,ニュージーランド政府はそれに取り組む所存です。

●持続可能なNZ
この週末、党大会において(クラーク)首相が持続可能性を強調する発言をしたのを耳にしたかもしれません。

政府は21世紀における社会民主主義の中心的な価値は持続性にあると考えており,ニュージーランドがその実現の先頭に立つことを望んでいます。

持続可能な生き方をし,温暖化ガス排出を減らすためには、再生可能エネルギー資源を最大限に活用しなければなりません。

●エネルギー効率
これは、我々の手にするものを浪費しないことを意味します。長い間、ニュージーランドでは電気が安かったので,倹約する必要はありませんでした。

しかし、マウイの天然ガスが枯渇し、発電コストは上がっており、そして、再生可能なエネルギー源を最大限に活用するためには、我々はできるだけ効果的なエネルギーの使い方をしなければなりません。

●ニュージーランドのエネルギー戦略
将来のエネルギー需要を考える際、大切なことをまとめたのがニュージーランドの「エネルギー戦略」です。来月発表される戦略の草案は、どのようにしたらエネルギーをより効果的に使うことができるかについて検討しています。

どこへ投資し,どんなテクノロジーに投資するのか、個人としてはどんなものを購入し,どんな生き方をするのか,「エネルギー戦略」では態度の変化を検討します。

「エネルギー戦略」は行動やプロセス、建物やインフラ基盤のアップグレード、デザイン、場所と管理について、しっかりとエネルギー効率を考慮するものです。

この一環として、政府では国のエネルギー効率と省エネ戦略の見直しを進めており、それはエネルギー戦略草案を構成するものとなります。

草案の焦点は、エネルギー効率を高めることであり,再生可能なエネルギー源の使用の促進です。

すでに発表されたり、開発中のイニシアティブのほとんどが、相乗的な利益を生み出すということは大切なことです。

たとえば、断熱されて暖かな家ならば,暖房費が安くつきくだけでなく、そこで暮らす人は健康なので、医療費もあまりかかりません。自動車もエネルギー効率が高く,ちゃんと整備されていれば、燃費は安く,公害も少なく,健康的な環境が保たれることになります。

「エネルギー戦略」の核心は、活力ある経済を維持するために必要なエネルギー資源の信頼できる供給にあります。

「エネルギー戦略」の草案では、エネルギーのインフラへの投資に関する不確実性に取り組むでしょう。

長い目で見ると、気候変動に関する政策とそれに関する規制などについて明確にすることが、時間の面からも,費用効果の点からも、効果的な投資をしやすくするでしょう。

同様に、エネルギー戦略がニュージーランドの持続可能なエネルギー社会への移行段階において、再生可能エネルギーや地熱エネルギーがどんな役割を果たせるのか、はっきりさせておくことは重要です。

温暖化ガス排出は、早晩、その代価を支払わなければならず、排出を低減させる方向に向け、生産や消費活動、設備投資を変える誘因になるでしょう。

「エネルギー戦略」は、温暖化ガスの排出を増やすことなく、エネルギー需要に応ずることができる可能性と手段を考慮するものです。

例えばカーボン捕獲と貯蔵など、きれいなテクノロジーが現実的で経済的になるまでは,すくなくとも、これからの世代にとり、再生可能エネルギーを選択することが好ましいことを示す必要があります。

したがって、「戦略」は再生可能エネルギーの開発を支持するため、価格の点でも競合できるよう、様々なオプションを考慮します。

「戦略」では、炭素の排出を低減したり、無排出の代替開発の障害を克服するため、確実性をもたらし、エネルギー革新のためによりダイナミックな環境を提言します。

●バイオ燃料
たぶん、皆さんの最大の関心事であるかと思われる問題、交通燃料の代替について、少し,話そうかと思います。明らかに、田舎では、公共交通機関は限られており、出かけたり、商売のため,近所付き合いの手段として,必然的に、クルマは重要であります。ここのような地域では、交通用燃料の値上げは、したがって、非常に応えます。

交通セクターから排出される温暖化ガスを減らさなければならないという火急の理由もあります。つい先頃,私はエネルギー見通しに関する報告書を発表しました。報告書では我々が政策基準を変えなければ、運輸から排出される温暖化ガスはこれからの25年間に35パーセント増加するとしています。

バイオ燃料の重要さはここにあります。ご存知かもしれませんが、運輸燃料に占めるバイオ燃料の最低割合をどこに定めるべきかついての提案受付をちょうど閉め切ったところです。政府の提案は2012年までに、2.25パーセントを最低限とするというものでした。

バイオ燃料は輸入することもできますが,国内の農業セクターから最低ラインを満たすために必要な原料は十分手に入るでしょう。

ニュージーランドには食肉産業が生み出す獣脂が十分にあり、それをバイオ・ディーゼルに転換するなら,ディーゼル需要の5%近くを満たすことができます。また、現在でも酪農産業から生み出される乳清をエタノールにすることで、ガソリン需要のおよそ0.3%が満たされています。乳清などの副産物からは、もっとたくさんのエタノールを製造することができるでしょう。

これらの再生可能エネルギーなどに運輸燃料を多様化することは、輸入された石油への依存を減らし,大気の質を改善することにつながります。

もちろん、温暖化ガスの排出も減らすことになります。現在提案されているような最低ラインが満たされ、バイオ燃料が化石燃料を置き換えるならば、京都議定書に義務づけられた100万トン以上の二酸化炭素の排出を減らすことは苦もなく達成できるでしょう。これは、第一次京都議定書に規定される政府責任を履行することになり、1600万ドル以上の節約に相当します。

さらに重要なことは,これが出発点にすぎないということです。ひとたび立法上のフレームワークと基盤が確立されれば,バイオ燃料が運輸燃料に義務づけられる最低限のレベルを上回る量を補うことは十分期待できることです。

●結論
私たちの目の前には大きな挑戦が待ち受けていますが、私たちはその取り組みに全力を注いでいます。ニュージーランド国民すべてがそれに参加しなければなりません。

その意味で、あなたがたのようなコミュニティが、これらのエネルギー問題について、一生懸命に、自分たちでなんとかしようと取り組もうと努力していることはすばらしいことです。

Monday, December 11, 2006

水に流せない/Oz'n'NZ

あと2週もしたら東に向けた船に乗るからというわけでもないのでしょうが,アオテロア(ニュージーランド)関連のニュースが目につきます。

オーストラリア連邦下院の法制と憲法委員会は4日に報告書を発表し,隣国アオテロアとの間で、法制度などの均一化を提唱し、両国の「合併」まで視野に入れた入れた委員会を両国の参加で設置することも提唱しています。

いまから1世紀以上も前,オーストラリア大陸で植民地政府の代表が集まり,連邦を結成する会議が開かれていたとき、アオテロア(ニュージーランド)も新しい連邦への参加を検討していた歴史があります。結局,アオテロアは新国家には参加せずに独自の道を歩むことになります。代わりに,それまで不熱心だった西オーストラリアが土壇場で参加し,現在のかたちの連邦国家は1901年に発足し、両国は,それぞれ主権国家として別々な道を歩いてきました。

しかし,もともと,近代国家としては同じ英国の植民地から出発した立憲君主国,どちらの国も国家元首は未だにエリザベス2世です。国旗のデザインもちょっと目には区別がつかないほど似ています。両国で使われているコインもほとんど区別がつきません。お互いにとり、どこの国よりも似ていることは間違いありません。

安全保障や防衛についてはANZACS(Aust NZ Army corps)の伝統があるし,80年代の非核宣言以来、アオテロアがANZUS条約から閉め出されているとはいえ,一衣帯水の関係にあります。どちらかの国で、そこだけでは手に負えない自然災害が発生すれば,一番最初に助けを求めるのもお互いの国です。つい最近も、ビクトリア州で燃え盛る山火事に各州から消防団が動員され,それでも足りないので,ニュージーランドから47人の消防士が派遣されています。逆に,ニュージーランドで手に負えない災害が発生すれば,オーストラリアに助けを求めるでしょう。

しかも、1983年からは「経済関係緊密化協定(CER)」が導入され、ほとんど関税も輸入規制もなく、資本や労働の移動もほとんど自由、ほとんど「ひとつの経済」と言えるのではないでしょうか。そうした現実を追認して,制度化し,経済活動の緊密化をさらに進めよう、その向こうに「合併」も視野に入れようというあたりが、今回の報告の真意でしょう。

だから、まあ、「オーストラリアとニュージーランド、ついに合併の動き?」という見出しも、ある程度納得がいきます。

しかし,2つの国のあいだには、いくつか大きな違いがあります。ひとつは国のサイズ。オーストラリア(人口2千2百万)は世界最小とはいえ,大陸国家です。アオテロア(人口412万)はポリネシアに属する海洋性諸島国家。どちらも、もともとはゴンドワナ大陸の出身ですが,アオテロアは直接には南極大陸から切り離された島です。オーストラリアでは火山活動はとうの昔に終わり,地形も比較的なだらか、砂漠の多い乾燥した大陸です。反対にアオテロアは火山列島で,日本の富士山そっくりなタラナキ山をはじめ,背の高い山脈があり,温泉もある列島です。オーストラリアには石炭や鉄鉱石,ウランなど,鉱産資源が豊富にありますが、土地はやせており,ここ10年は干ばつに苛まれています。アオテロアには肥えた土地と豊富な降水がありますが、鉱産資源はほとんどありません。

これらの自然環境が違うだけでなく,両国の間には兄弟(どちらが兄なのか,それは意見の分かれるところですが)の間のようなライバル意識があります。それは主にスポーツの場で発揮されます。

もっとも有名なのはラグビー(ユニオン)のオール・ブラックスとワラビーズですが,クリケットならブラック・キャップスとオーストラリア。バスケット・ボールではトール・ブラックス対ブーマーズ、ホッケーならブラック・ステックス対ホッケールーズ/クッカバラズ,サッカーならオール・ホワイツ対サッカールーズ,スワンズ対マチルダズ。人口の差にも関わらず,スポーツの場ではなみなみならぬ対抗意識があります(しかし、ニュージーランドのチーム,オール・ブラックスの影響なのでしょうか、黒が多いですねえ。冬が本番のラグビーなら黒いユニフォームも苦になりませんが,夏の暑い太陽の下,黒いユニフォームじゃクリケットの選手も大変だろうな,と老婆心。)

経済の規模もかなりの差があります。2005年の数字ですが,ニュージーランドの国民総生産は1千億ドルをちょっと超えるくらい。オーストラリアはその6倍,6千300万億ドルです。オーストラリアにとり,ニュージーランドは第三位の輸出国にすぎませんが、ニュージーランドにとって、オーストラリアは大のお得意様。輸出入ともオーストラリアが全体の1/4近くを占めます。

これだけ見ると、より大きく,身近な市場に「合併」「統合」することで経済を活性化させよう、そういう声がむしろアオテロアの方から出てきそうなものです。85年以降,先進国の中で、アオテロアの経済成長率はもっとも低く、かつては先進国の中で一二を争うほどだった生活水準も現在は20位以下に落ちています。しかし、今のところ,そういう声は少数意見であり,政党の中で,オーストラリアとの間にこれまで以上の緊密化をよびかけるのは,現労働党政権の閣外連立パートナーのひとつ,ユナイテッド・フューチャー(統一未来)党くらいです。もっとも,この党にしても「貨幣の統一」を口にする程度で,それ以上には踏み込んでいません。

オーストラリア側から求愛の声が出てくるのはなぜなのでしょう。うーん,不思議な気がします。アオテロアの人たちも,なぜ,いまさらって不思議がっていることでしょう。何か,アオテロアにはくさんあり,オーストラリアがのどから手が出るほど欲しいものがあるのでしょうか。

そんなことを考えていたら、ひとつ、ありますね。水。経済の一体化,法制度の一体化を進めることは両国にとってためになる,とかなんとか言いながら,実は水の確保を画策しているのかもしれません。そう勘ぐりたくなるくらい,オーストラリアの水不足は深刻です。水は各州政府の管轄ですが、それぞれ,もっとダムを建てるだとか,淡水化プラントの建設だとか,そういう小手先の政策をいろいろ打ち出しています。干ばつ,水不足のおかげで,食品の値上がりが現実のものになっているだけに,本当、水を手に入れるためにはなりふり構わず。というのもわかる。

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んな思っていたら,シドニー・モーニング・ヘラルド紙のひとこま漫画もそこのところ,辛辣についています。

日本では水の重要さがあまり認識されませんが,世界のあちこちでは、水のために「併合」だとか、水をめぐる「紛争」なんてことが頻発化するでしょう。

Sunday, December 10, 2006

潮力発電/tidal au go go.

現代社会の便利さの中で暮らしていると忘れがちですが,地球上で人間が手にできるエネルギー源は三つしかありません。太陽エネルギー、それに,地球自身のもつ熱(地熱や火山)、そして、月の引力エネルギー(潮力)です。
化石燃料も過去の太陽エネルギーが凝縮されたものですし、風力も、太陽の力で温度差が生まれ,空気が移動することから生まれるものです。

地球上で手に入るエネルギー源は三つしかない。地球環境がゲテモノ化し,安くて豊富なオイルがピークを越した時代,エネルギーをどうしたらいいのか。いろいろ議論が進んでいますが、このことはもっとも基本的なこととして理解しておかなければなりません。

地球環境のゲテモノ化を理解し,迫り来るオイルピークに対処するため,グリーンでクリーンな解決策に人間は知恵をめぐらせています。ソーラーに風力,「げ」の字は出てくるは,バイオだ,エタノールだとかまびすしいのですが、その時に肝に銘じておかなければならない原則があります。

それは、それぞれの場所で可能な解決方法は異なるということです。

近代化以降の時代,つまり,いま,我々の生きている現代社会ですが、ここでは、どこかでひとつの方法を編み出し,それが世界津々浦々で通用する、そういうことがあり得ました。しかし、それは安くてふんだんなアブラに頼っていたからこそできたことであり,その大前提が崩壊しつつあるこれからの時代にはもう通用しません。まさに,「崩壊する新建築」、そのもの,ですなあ。

んで,近代以降の新建築がぼろぼろと音を立てて崩壊するこれからの時代,それぞれの地域の事情,特性にあわせ,それぞれの場所にふさわしい解決策を探さなければなりません。他の場所でうまくいった方法が参考にはなるものの,ある場所で使える方法が別の場所でも適用されるとは限らないことも、しっかりと覚えておく必要があります。

これからの時代,他人がどこかで作ってくれた解決方法、処方箋に頼ることはできません。グローバル化に慣れた現代人にとっては、ええっと耳を疑うようなことかもしれませんが,西日本で使える方法が東日本では使えるとは限りません。それぞれの地域にあった解決策を探らなければなりません。世界標準な解決方法はもはや存在しないのです。

たとえば、日本やアオテロアなどのように、火山/温泉のある場所では地熱の利用が考慮されますが,火山のないオーストラリアでは、そんな処方箋は使い物になりません。また、日本の田舎のように水田用の用水路が発達し,水が豊富な場所では小型水力の可能性が大いにあります。しかし,未曾有の干ばつがつづく褐色の大陸には水もなく,用水路も発達しておらず,現実的ではありません。

さて、四方を海に囲まれたアオテロアでは潮力を利用する発電所の建設計画が進んでいるそうです。オークランド近くのカイパラ湾に 1 MWの発電容量を持つ22メートルの高さのタービン、200機が設置し、200 MWを発電する計画が進んでいます。計画通りに来年から着工すれば、2011年には発電所が完成し,全国の4%の電力が潮力で賄われる予定です。潮力は文字通り,潮の満ち引きを利用するもので,潮の干満が大きなところが好適地になります。日本でも瀬戸内海辺り,どうなんでしょうね。

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Crest Energyより)

これからの石油減耗の時代には,再生可能エネルギー源をひとつひとつ吟味していかなければなりません。風の強い場所では風力を利用し,潮の流れのある場所では潮力,火山のある場所では地熱。ってなように、それぞれの地域の特性にあうエネルギー源を選択しなければなりません。これからは知恵を絞らないと。

どこでもお手軽に「げ」の字ってのは安直でださいし、実際のところ,現実的じゃありません。

Tuesday, December 05, 2006

気候ゲテもの化/climate weirding

エイモリ・B. ロビンスのインタビューを読んでいたら、climate weirdingというフレーズにでっくわしました。普通、「気候変動」という意味ではclimate changeという言葉が使われますが,weirding。weirdingには「異常」であるってな感覚がこもっていて、なかなかいいなあ。昨今の干ばつや山火事の多発を見ていると,確かに「変動」なんで生易しい状態ではありません。「変動」というより、すくなくとも「異常化」のほうがずっとわかりやすい。「奇動」というか「ゲテもの化」しているような気がします。

んで,ちょこっと調べてみると,ロビンスとの共著が日本でも翻訳出版されているポール・ホーケンはglobal weirdingというフレーズを使っていますね。あっ,これもピンがあっている。「温暖化」っていうと,どこか,ほんわか,ぬくぬくと温かくなっていくようで,あんまり危機感を喚起しません。地球「奇天烈化」とか,地球「異常化」とかの方がずっと本質をついているのではないでしょうか。

なので、これからはglobal weirdingやclimate weirdingを語彙に取り入れることにします。日本語では、うまい言葉、ご存知ですか?

(ホーケンは、「人工社会」の元祖のひとつであるスコットランドのフィンドホーンについて「フィンドホーンの魔法」という本を書いてますが、いつか,読んでみたいと思います)。

Monday, December 04, 2006

カナの大虐殺者、逮捕を免れる/Viðrar Vel Til Loftárása

ニュージーランドで地裁の要求した戦争犯罪容疑者の逮捕に法務長官が介入し、覆される事件が起きた。ここ2年ほどの間に、パレスチナ人が戦争犯罪人として提訴したモファズ元国防相(現交通相)、そしてドロン・アルモグ将軍(元ガザ地区のイスラエル軍総司令官)が同じように逮捕を免れたことがある。

「英国に続いて、ニュージーランドでもまた…。イスラエルの戦争犯罪を裁きの場所に持ち出そうというパレスチナ人たちの努力はまたしてもとん挫させられてしまった」という知らせをp-navi infoの編集人、ビーさんから聞いて,びっくりした。ニュージーランドの労働党政権には,ここの政権よりいくらかましかなと思っていたこともあるから。そういう思い入れは禁物,ですね。戦争犯罪容疑者を法廷にひっぱり出すことすら阻む「法治社会」ってどれほどのものなのだろう。考えてしまう。これじゃ、いつでも「空爆日和」じゃないか。

下記にイスラエル元軍司令官、NZで逮捕を免れるをp-navi infoより転載しました。

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ニュージーランドを訪問中の元イスラエル軍司令官、モシェ・ヤアロンに対し、オークランド地裁が戦犯容疑で逮捕状が発行したのは11月27日のこと。ヤアロンは「カナの大虐殺者」として知られており、昨年12月にはニューヨークで民事訴訟が起きている。96年にイスラエル軍は、レバノン南部、カナのUNFIL(国連レバノン暫定隊)本部に対する攻撃を行い、そこに避難していた100人以上の難民を虐殺した。これを指揮したのが、当時、諜報部長官を務めいたヤアロンだと言われている。ヤアロンはその後、2002年7月9日から2005年6月1日までイスラエル軍の最高司令官を務め,パレスチナ占領地において、数えきれない人権侵害と戦争犯罪を犯した疑いがもたれている。

ユダヤ民族基金(JNF)*1の資金集めのためにニュージーランドを訪問していたヤアロンに対する容疑は、2002年7月22日にイスラエル軍がガザの密集地に対し行った空爆*2への関与で,ジュネーブ条約第4条違反の疑い。民間人への攻撃を禁止するジュネーブ条約に調印するニュージーランドでは、条約違反は刑法犯罪になるため、オークランド地裁は警察に逮捕を要請したのだ。

地裁に訴えを起こしたのは、パレスチナ人権運動家のジャンフリー・ワキムで、地裁はこの訴えに『十分な理由』があると判断し、逮捕令状の発行を決めた。しかし、警察はヤアロンの逮捕には向かわず、ヤアロンの監視を続ける一方で、法務次官にアドバイスを求めた。

11月28日、次官などからアドバイスを受けたマイケル・カレン法務長官は、地裁の決定を覆し、逮捕状の発行を取り消す決定を下した。「証拠が不十分であり、立件が難しい」というのがその理由。「他の国でも逮捕状が出ておらず、戦争犯罪を裁く国際司法裁判所も、この件を取り上げていない」とも付け加えている。

カレンはヘレン・クラーク政権の与党労働党の副党首であり、法務長官ポストのほか,副首相。蔵相、高等教育相、院内総務を兼任する実力者だ。もともとは経済と社会保障政策が専門で、法律家ではない。法律の経験がない人間が法務長官に任命されることはそれまでに1度しかなく,2005年に任命された時には論議を呼んだ。そういう背景を考えると、今回の判断も自ら法律的な判断を下したのではなく,イスラエルに対する配慮なのか、勝ち目のない闘いを避けるためなのか、政治的な判断である可能性が強い。法務長官はこの決定にあたり、イスラエル政府とのあいだで一切コンタクトがなかったと発言している。

この介入をめぐり、国内で賛否両論が飛び交っているが、ニュージーランド政府の国際的な評判を下げることになることは間違いない。逮捕が取り下げられたヤアロン自身は、ニュージーランドのメディアによれば,すでに出国したようだが、3日付けのハアレツ紙は「私は逃げない」というヤアロンのコメントを掲載、いまだ、ニュージーランドにいることをにおわせている。

この知らせにパレスチナ人権センター*3の代理を務めるロンドンの事務弁護士事務所、ヒックマン&ローズは「パレスチナの犠牲者たちは失望している。ヤアロンは法廷に示された証拠に基づき、逮捕され、起訴されるなり、引渡されるなり、適当な措置がとられるべきだった」と声明を発表した。

*1…ユダヤ民族基金(ケレン・カイエメット)
1901年設立の土地開発基金。イスラエルの土地の大部分を所有する。
イスラエル建国以前からパレスチナの土地を購入し,開発を行ってきた。建国後はイスラエル国家の一機関であると同時に海外に離散するユダヤ人の団体、世界シオニスト機構の一部でもある。

*2…2002年7月22日の深夜、イスラエル軍は「暗殺政策」に基づき、F16機から1トン爆弾をガザの人口密集地に落とした。ハマスの指揮官、サラ・シハーダを狙ったとされているが、世界でも有数な過密地区に落とされた爆弾は近隣の人々を殺傷した。この爆撃で民間人15人以上が殺され、150人以上が怪我を負った。オークランド地裁への訴えを起こした原告の一人、ラエド・マタルは妻や3人の子供を含む7人の家族を失った。ヤアロンはこの攻撃に中心的な役割を果たした疑いがもたれており、地裁に提出された書類によれば、自らこの作戦に関与したことを認めている。

*3…パレスチナ人権センター(PCHR)は、世界各地の法律事務所と協力し、イスラエルの戦争犯罪容疑者の告発を行っている。イスラエルの司法当局は政府が採る「暗殺政策」の合法性について判断することを拒否し、その政策に基づく個々の「暗殺」についても捜査を拒否しているからだ。PCHRによれば、イスラエル政府の「暗殺政策」「先制攻撃政策」のおかげで、2000年9月から2006年9月の間に、法によらない処罰で少なくとも376人が殺され、さらに少なくとも209人の民間人が巻き添えになって殺された。
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雲を追いかけて/the land of amazing clouds.

永住の地を探す旅に、船に乗るまであと3週間。あれやこれや,ばたばたしています。

彼の地の事情を調べ,地理に親しみ,土地や自然を理解し,政治体制を学ぶ作業中です。まあ,どこまで予習をしても実際,肌で感じてみないことには何もわかりはしないのですが。

んで,その一環として気象情報を毎日チェックしています。ここに比べると,予想通り,雨がばしゃばしゃと降っています。いいぞ,いいぞ。

なんて、http://metvuw.com/を見ていたら,ものすごい写真がいくつも載ってます。空を見上げることが大好きな性分なので、こんな写真を見ると,わくわくしてしまいます。こんな空の下で暮らしてみたいなあ。
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写真はすべてhttp://metvuw.com/より。

Sunday, December 03, 2006

山火事/fire still burns.

12月を迎え,標高千メートルの高原は、30度を超す暑さ(日陰)で夏本番。今日は風はあまりありませんが,どんよりとした煙が漂っています。この煙、うちから西へ150キロほどのところにあるマジー周辺で発生した火災の煙だそうですが,この辺あたりまで漂って来るほどの大火のようです。

そうかと思えば,麓のシドニー市内も市の北,ハンターで燃え盛る山火事の煙が立ちこめているようです。

うちの近辺で11月半ばに燃え出した山火事もまだ完全に鎮火したわけではありません。現在までのところ,人家への被害はありませんが,人を寄せ付けない谷の底で,まだまだ火は燃えているそうです。今週も火曜に風が吹く,いや水曜だ,などと天気予報で言われていましたが,幸いなことに大した風ではなく,こう着状態が続いています。ちょろちょろと舌を出しながら,渓谷で強い風が吹き荒れる時をじっと待っているようです。

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(地図はNSW Rural Fire Service Blue Mountains Districtより)

地図で黒くなっているところがこれまでに焼けた場所です。うちがあるのはカトゥーンバの住宅街の北の外れ,火がまだ燃える前線からは8キロほど離れています。風向きによっては一気にやってくる可能性があるだけに、気が気じゃありません。雨樋の栓もずっと、したまま。来るならいつでも来いと、身構えています。ヘリコプターの音が頭上に鳴り響いても、頭を上げることもなくなりました。

明日からの週末、所によっては雨の予想もありますが,ここひと月以上,雨を見ていないんで,空から水が降るってどんなものなのか,すっかり忘れてしまいました。土も風も,皮膚もからからに乾いています。水がなければ植物は育たず,人間も動物も生きていかれない。つくづくと思い知らされます。

これだけ乾燥していると,火事はどこでも起こります。一触即発。一昨日,うちから西へ40キロほどのリスゴーの町の知人のところへ昼食に出かけ,帰りがけ,ふっと見上げると山から煙が上がっています。
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この火はこれまでのところ封鎖線内で収まっています。
火事と火事の恐れと顔を突き合わせ,煙におびえ,土ぼこりのなかで水の心配をする。乾いた大陸の山火事のシーズンはまだまだ,これからが本番です。