Sunday, March 11, 2007

サウジのアブラ生産、年率8%の減産/8% decline in the desert kingdom.

意識的な措置なのか,それともピーク後の減耗なのか、その理由はわかりませんが,昨年1年間,サウジアラビアの原油生産が前年に比べ8%の減産であることをスチュワート・スタニフォードが8日付けのオイル・ドラムで報告しています。下記に要点と主要グラフを転載します。

世界最大のガワール油田の減耗やサウジのアブラについては何度かここでも書いていますが,これほど重要なニュースを主要メディアはなぜ,取り上げないのでしょうね。
ksa_summary.png

(サウジアラビアがスイング生産者であることをやめ,供給サイドの事情で生産んをすることを示すグラフ。すべてのグラフはすべてのグラフはオイルドラムより)

●2004年の第3四半期まで,サウジは余剰生産能力を持つスイング生産者として、市場を沈静化するためなら、すすんで生産量を急激に増減させていた。この時期,サウジの生産量の増減はすべて、需要サイドの要求に基づくものであることが理解できる。
●2002年,世界経済の回復に基づく需要の増加に応えるため,サウジは生産量を増加させた。
●2003年,米国のイラク侵攻の直前から,原油生産は急上昇する。これはサウジが侵攻によるイラクの生産減を肩代わりし,市場を沈静化するために自ら行ったもので、戦闘が静まり,イラクの原油生産が回復するにつれ,サウジの生産は侵攻以前より少し高いレベルに落ち着いた。
●2003年から2004年初頭にかけ,米国、中国などの好景気による需要増を受け,原油価格は上昇する。バレル22ドルから28ドルというOPECの望む価格レベルを大きく上回る価格の急騰に対処するため,サウジは2004年春,生産量を大幅に増加させる。しかし,サウジには日産百万バレルの増産がやっとで、原油価格は沈静化することができない。これ以降,原油価格はOPECの希望価格に戻ることはなく,翌年,希望価格帯自体が廃止された。
●サウジのアブラ生産は微増を続けるが、2004年後半には減少し始める。2004年末以来、サウジには需要サイドの要求に基づく生産調整ができなくなり、それ以後,生産量の変化は供給サイドの事情によるものになった。
●2005年初頭、新油田,カティフ/アブサファが生産を開始し,減少に歯止めがかかる。しかし、日産69万バレルの新油田が加わったというのに,2005年の生産量は平坦で,原油価格の急騰やメキシコ湾を直撃したハリケーンに対応し,生産量を増加させたあとは少しも見えない。

saudi_06_decline-1.png


●2005年後半に始まる生産減は2006年に入ってからも続き、春にハラダ3油田(30万バレル/日産)が生産を開始するまで続く。結局2006年の生産は前年比マイナス8%。この傾向が10年も続けば,サウジの生産は現在の半分になる。

haradh_effect.png

●ハラダ3の導入は焼け石に水,数ヶ月後にはすっかりもとの減少率に復帰する。


ksa_rig_count_and_prod.png

スタニフォードは最近の別な記事で,サウジの原油採掘用リグの数が急激に増えていることを報告しています。生産を上げようとしゃかりきになっていることが見て取れます。サウジのアブラ生産が去年のような率で減少していくことはないでしょう。

しかし、カティフ/アブサファやハラダ3のような規模の油田では,生産曲線の下降そのものを止めることはできません。せいぜい数ヶ月,下降を遅らせるだけです。サウジ,そして世界の石油生産は限られた数の巨大油田や大油田に頼っており、それらの減耗から生じる穴は、ちょっとやそっとの規模の油田が稼働しても簡単に埋められるものではありません。サウジアラビアにある世界一の巨大油田、ガワールの減耗による生産減を埋められる油田はありません。

ここがピークを理解する重要なポイントのひとつですが、どれだけ設備投資をしようが、探査に金をかけようが、どれだけしっちゃきになっても,ないものは見つからない。掘り出せない。使えないのです。

使えないといえば、サウジのアブラ減産との関連で,ジェフリー・ブラウンが重要な指摘をしています。それは産油国における経済成長です。

アブラ収入の増加で中産階級が増えると,エネルギー消費が増加します。ということはサウジやロシアなどの産油国がアブラを増産しても、国内での消費が増えれば,市場に出回るアブラの相対的な量は減ります。オイルピークによるアブラ生産の絶対量の減耗に加え,世界市場に出回るアブラの量はサウジやロシアなどの国の経済成長にも影響されることになります。

No comments: