Friday, August 29, 2008

グスタフとハナ/Gustav'n'Hanna

メキシコ湾岸にカトリーナが襲来してからちょうど3年。しばらく大型ハリケーンの直撃を免れてきましたが、もともとハリケーン銀座。どうやら今年は当たり年になりそうです。

現在,ジャマイカに大雨を降らせているグスタフが2005年のカトリーナとほぼ同じコースでメキシコ湾に進入しそうです。海面温度がハリケーンを大型化させるのに十分な高さであり,湾に入り次第、凶暴化する恐れがあります。ニューオリンズは48時間以内の至近距離に入っています。カトリーナとリタの教訓を生かし、人的被害が出ないことを祈らずにはいられません。

メキシコ湾にあるサンダーホースなどの海上原油採掘施設も厳戒態勢に入り、人員避難が始まっています。メキシコ湾岸で全国の25%以上の原油,15%の天然ガスが生産されるだけにハリケーンが直撃した場合の影響は必至です。

メキシコ湾岸の油田プラットホームの分布
ウエザーアンダーグランドより



(グラフ)過去に300万バレル以上の生産停止を余儀なくされたハリケーン
オイルドラムより

グスタフの後にはさらに大型のハナが並走しています。現在はかなり東の海上を北上中ですが、ecmwfなどのモデリングによれば、西に向きを変え、グスタフに続くようにニューオリンズを直撃する可能性もあります。そうでなくともグスタフと連動する恐れもあります。
このうえ、大西洋上にはいくつかのハリケーン候補がとぐろを巻き出しています。

ロイターによれば,IEAは「一定の被害が出た場合、戦略石油備蓄を放出する用意がある」と述べて、その発表の直後,原油価格は2ドルほど下がっています。市場からはそれほどの信頼されるIEAですが、IEA自身に備蓄があるわけではなく,せいぜい「加盟各国に放出を要請する」くらいで、実効がどれほどのものかはわかりません。加盟各国の原油需要が下がったため原油価格は最高時から比べると30ドル以上下がっていますが、ハリケーンの襲来はそれが長期的な傾向であるのかどうか、試すことになるでしょう。

Wednesday, July 30, 2008

海軍演習中止?規模縮小?/Japan's navy hit by peak oi.

日本海軍が今年秋に予定されていた演習の規模縮小,「最悪の場合は中止も視野に入れて検討している」ことが報道されています。
この演習は第二次大戦後の1954年に海軍が再建されて以来、毎年行われてきたもの。理由は「原油高」だそうです。

「海自最大演習、中止も視野 原油高で海幕長(日経)

「原油高」といわれると一過性のことのような印象を受けますが,それが軍人(そして軍を統括するはずの「文民」たち!)の時代認識だとしたらお寒い限りです。現在の「原油高」がオイルピーク以降の減耗時代の幕開けの兆候だとしたら,「原油高」は今年だけの問題ではありません。「原油高」は演習をどうするかという問題にとどまりません。アブラ供給はこれからずっと,だらだらといつまでも減少していくとしたら、軍の維持そのものに関わります。軍の人間(そしてそれを統括するはずの「文民」たち!)はまず,これが一過性のことではないことをしっかりと認識し、毎年毎年減少していくアブラ供給(と「原油高」)に備えなければなりません。「戦車や戦闘機の省エネ操縦から風呂の追いだき禁止」(「自衛隊に想定外の“敵” 演習中止も検討(スポニチ)」)なんて次元の付け焼き刃でどうにかなるものではありません。

今回の演習に関する発表は「定例記者会見」で行われたそうですが、出席した「記者」のなかにはピークという世界的な状況を理解する人は一人もいなかったのでしょうか。軍事力というとドンパチ破壊力だけを想像しがちですが、火薬や兵器の製造を含め、近代の軍隊はアブラがなければまったく機能しません。これが減耗の始まりであり,毎年3%の減耗が続いた場合10年後、20年後の国防をどうやってまかなうのか。ピーク以後の時代について、軍は研究をしていないのか。国民が知らなければならないのはそういう情報です。

アブラのピークと軍隊については世界最強の米軍の例をいくつかここで取り上げてきました。アメリカ軍はDefense Energy Support Center Fact Book(pdf)によれば一日平均30万バレル以上のアブラを消費する世界一の石油消費団体です。アメリカがアブラを獲得するために軍事力を使うのは、したがってまったく当然のことなのです。

世界最大の消費者であり、アブラ本位制の守護神としてはこれまた当たり前のことですが、アメリカ軍では2005年にオイル・ピークに備えた研究が行われています(ピークに関する研究はこれがはじめてではなく、2002年頃から研究が始まっているという報告もあります)。

それを紹介した際にも触れましたが,この「Energy Trends and Their Implications for U.S. Army Installations」という研究(pdf)の要点を再確認しときます。

●「便利なエネルギー源が安く、ふんだんに使える時代は早急に幕を降ろそうとしている」
オイルピークの見通しについて、政府機関である地質調査庁(USGS)などの楽観的な予測を退け、ピーク・オイル調査学会(ASPO)などの民間機関の予想を採用しています。

●「2003-2005年にかけての石油価格の倍増は異常なことではなく、これからずっと続くことだ。我々の生活水準を維持するため、エネルギー消費はかかせず、軍務の達成にも不可欠だ。しかし、現状の消費をこれからも維持し続けていくことはできない」
世界最大の消費者にとりピークは切実な問題ですが、世界最強の軍事力を持ってしてもどうにもならないと言うことです。

●「現在、アブラに代わりうる代替エネルギーはない」

●この研究は再生可能なエネルギー源についてそれぞれの短所と長所を比較しています。面白いことに原子力については「今のような使い捨てな利用方法では、20年もしないうちに安価なウランを使い切ってしまうだろう」とウランピークを警告し、その利用に否定的です。むしろ、太陽光や風力の可能性のほうを積極的に評価しています。

総じて,報告書は世界最大の石油消費者であり環境破壊者であるアメリカ軍からは想像できないほど「グリーン」な内容になっています。

まちがっても国防省のような大組織がひとつの報告書で変質することはないでしょう。しかし、燃料効率などおかまいなしにアブラをばんばん燃やして、世界各地に武力を展開することはこれまでのようにやっていけない。安全保障の根本的な再考をしなくてはならない。これまでのやり方はアブラ減耗の時代に通用しない。これまでさんざ放蕩の限りを尽くしてきたからなのか、アメリカ軍のなかにはそれを理解する者もいるということです。

日本軍はどうなのでしょう。軍隊の存在そのものの再考を迫るものであることが理解されているのでしょうか。いつまでも「原油高」などと一過性のことのように言いくるめていられるものではありません。

マスコミを含め,市民社会の側はどうでしょう。どこの国でも軍隊は管理のノウハウと手段を保持しています。軍は突然のオイル・ショックがもたらすかもしれない不測の事態にすばやく対処できる数すくない組織です。もし、ピークのおかげで市民社会、経済や行政が機能不全に陥れば、軍は治安維持というかたちで社会秩序を保てる唯一の組織になるかもしれません。オイル・ピークは民主社会をそんな形で脅かす可能性もあります。民主社会への軍による治安維持介入という事態を避けるためにも、ピークに備えることが重要になります。石油減耗時代に軍隊の役割をどう定義するのか、市民社会は準備を迫られています。

Thursday, July 24, 2008

否!/Tanaka-san will not do callisthenics

沖電気の不当解雇に25年以上反対し、路上闘争を続ける田中哲郎を題材としたドキュメンタリー映画が完成したそうです。




Tanaka-san will not do callisthenicsより


マリー・デロフォスキー監督のこの映画には田中哲郎だけでなく君が代斉唱に従わず、処分を受け闘争を続ける根津公子なども登場し、日本社会のいびつな歪みっぷりが紹介されます。
自分もちょこっとだけ製作を手伝いましたが、「否」と言い続ける人たちには励まされます。

Friday, July 18, 2008

最初の犠牲者/the first casualty of peak oil.

原油価格はしばらくぶりに120ドル台に下がり,奇妙な安堵感が広がっています。
しかし、アブラ生産のファンダメンタルはまったく変わっておらず、このまま価格が下がっていくと楽観する理由は何もありません。「砂漠の黄昏」の著者,マット・シモンズはアブラが最高値をつけた頃,これでもまだ安いと発言しています。マスコミや政府はどこにもいない犯人探しに忙しく,だれもこれを警告として、真摯に受け止めていないとも語っています。

注目しなければならないのはむしろ、ここ一週間、十日ほどの間に20ドル近くも価格が下がったことです。国営イラン石油会社の元副社長でテヘラン大学でイラン史の講師、故アリ・サムサム・バクティアリはピーク以降の最初の3,4年間の特徴は価格の不安定さにあると指摘しました。バクティアリによればアブラ生産は既に去年あたりがピークのはずで、それが正しければこれから2010年くらいまで、アブラの価格は急上昇と急降下を続ける,穴だらけのでこぼこ道をいくことになります。そしてこの不確実さは経済の見通しを立てにくくします。

2006年7月、オーストラリアの上院公聴会に招かれたアリ・サムサム・バクティアリは、ピークが及ぼす最初の影響について、次のように証言しました。

「ピークの最初の犠牲者は航空産業です。航空産業はすでに損失が出ています。ジェット燃料は原油の値上がりの影響を直接受けます。これから航空産業はどうやりくりするのか見当もつきません」(上院議事録より)

2007年10月に急逝したバクティアリは世界の原油生産ピークが2006年から2007年に訪れると予測しましたが、世界の原油生産はバクティアリが2003年に発表した予測にぴったり沿うように推移しています。

人間がアブラの力を借り、空を飛べるようになってから100年ちょっと。格安航空券が氾濫し、ホリデーは海外,ちょっとした出張もヒコーキが当たり前、猫もしゃくしもマイレッジをためる時代です。人間は自らの肩の付け根に翼を獲得したかのように錯覚しています。

しかし,それはあくまでも幻想にすぎません。人間が空を気軽に飛べなくなる日はオイルピーク以後、すぐに訪れます。逼迫するエネルギー事情の影響をもろに受ける航空業界はすでに末期的症状を見せ始めています。すでにばたばたと倒産や営業停止に追い込まれる企業が続出し、まだ生き残る会社も路線縮小に大忙しです。

なかには無料風俗サービスで客を釣ろうなんていう航空会社もあります。ビジネスクラスの客にはシャクハチの無料サービスを提供すると記者会見で発表したのはライアンエアの社長です。ジョークのつもりでしょうが、空を飛ぶはずの航空会社のモラルは落ちるところまで落ちたもので,航空業界の火の車ぶりを示しています。

航空業界の尻にどれほど火がついているかというと,今年4月にはアメリカで3つの航空会社が立て続けに乗客輸送サービスから撤退しています。前年に「世界最良の新航空会社」に選ばれたばかりの香港のオアシス航空(甘泉香港航空)も破産申請しています。翌5月にはアメリカのチャンピオン航空がやはり営業停止に追い込まれています。

営業停止に追い込まれるのは、スカイバスのように薄利多売を狙った新興格安航空会社ばかりでなく、1973年からチャーター便を運航するATA,そしてハワイをベースに61年の歴史を持つ老舗のアロハ航空などもジェット燃料の高騰と過当な価格競争が理由で廃業に追い込まれています。イタリアのフラッグキャリアーであるアリタリア航空も経営難が伝えられています。

音を上げた航空業界は「原油高騰の原因は投機マネー」説にすがりつき,その抑制を求め,「異例の広報活動(時事通信)」を始めました。

「石油価格を安定させる最も手っ取り早い方法は、先物市場での無謀で不公平な投機の抑制だ」。アメリカン航空、ユナイテッド航空など米国の主要航空会社と業界団体はこのほど、「今すぐ石油投機を止めよう=SOSナウ」というウェブサイトを立ち上げ、エネルギー先物市場での投機抑制策の早期導入を米政府に訴える異例のキャンペーン活動を始めた。

投機マネーの過度な流入は原油価格高騰のひとつの理由には違いありませんが,政府の力を借りてそれを抑制してみたところで、原油価格が1バレル20ドル前後のおいしいレベルに戻るわけがありません。現在の1/7以下の価格だったのはわずか6年ほど前のことです。

グローバル化経済を支えてきた航空業界はオイル・ピークの最初の犠牲者であり、そのあとには航空業に頼る運送サービス業,観光業や旅行業、遠隔地の市場をあてにする製造業が続きます。ジェット輸送に頼る生鮮野菜なんてのもすっかり先が見えています。

日本では日航が地元の反対にも関わらず,国内地方線の整理にはいっていることを沖縄タイムズが伝えています。沖縄の仲井真知事は「(沖縄は)観光を大きな産業として食べている県なので、いろいろな路線がこういう状況になるとわれわれは生きていけない」と言っています。その通り、航空に依存する産業は観光業だけでなく,これからどんどん状況が厳しくなります。

安いアブラまみれの翼がそろりそろりともがれつつある、そう自覚し、個人も企業も頭を切り替え、新時代への備えをしなければなりません。翼を持たぬ人間が簡単に飛べる時代が異常だったのであり,そんなものがいつまでも続くわけがありません。航空産業や航空機、航空時代はやがて終わります。

これからも航空需要がこれまでのように伸び続けるだろうと考え空港を新設したり拡張したりするのは、まったくもって時代錯誤の狂気の沙汰,資源の無駄使いとしか言えません。飛べることを当てにした企業経営方針は使い物になりません。個人のレベルでも、簡単に海外旅行できる時代はぼちぼち終わることを意識しなければなりません。

飛べなくなるまで飛び続け,イカロスのように失速し墜落するのか。それとも一歩ずつ、地面を目指して意識的に降下していくのか。やがては大地に降り立つわけですが、どちらの過程を選ぶかにより,結果は大きく違ってきます。飛べなくなる前に飛ぶのをやめ、航空機に頼る暮らしをやめるのか、それとも翼がちぎれるまで飛び続けるのか。どちらを選択するのか、まだ、わずかですが時間は残されています。

Friday, July 11, 2008

いかさまな取引/cheatneutral.

閉幕した先進国サミットでは球環境ゲテモノ化ガスを2050年までに半減する目標が合意されました。
これまで具体的な数値目標に乗り気でなかった国も渋々ながら賛同しているということであり,まあ,それなりに一歩前進かもしれません。しかし,尻に火がついてるってのに、相変わらずペースがのろのろですね。

大きな問題はこの目標を具体的にどうやって実行するのかということです。

中日新聞は「排出量取引について、国家間だけでなく、国内でも「排出量削減を実現することに役立つ」と明記。議長国として、日本での本格的導入を事実上表明」したと報告しています。

ゲテモノ化ガス排出には税金をかけ、それを減らそうという方法もありますが,排出権の取引が世界の大勢のようです。ここニュー・ジーランドでもセクターごとに排出権取引の導入が今年はじめから始まっています。

排出権取引って、はたしてゲテモノ化ガスを生産する人間どうしのあいだで取引できるものなのでしょうか。取引することで排出削減に役立ち、ゲテモノ化を緩和することにつながるのでしょうか。ゲテモノ化ガスは人間と地球の間でのみ取引が可能であり,人間どうしの間では取引できるものじゃない。そんな気がします。

そこんところを勘違いすると,自分の古くからの友人のように、地球環境にそれなりの関心があるというのに、この期に及んでも、じゃかすか飛行機で世界を飛び回る。シリアス軽目に問いつめると、炭素中和になるように金を払っている。とのことです。カネを払ってチャラ。

これは企業や国でもそうで、ゲテモノ化ガスを排出してもその分カネを払えばいい、途上国かどこか(実はどこでもいいや),その分植樹をしてもらう。それでゲテモノ化ガスを相殺する。実際、自分の生産したゲテモノ化ガスを相殺するだけの植樹がどこでどんな具合で行われているのか,そういうことは知らなくとも,まあ,早い話,カネを余分に払っているからいいだろう。とまあ,それが炭素ニュートラルの基本的な姿勢であり,排出権取引の実態なのです。

そういうのって本末転倒,いかさまである、おかしいんじゃないかと考えた三人のイギリス人が去年暮れcheatneutral.comというサイトを立ち上げました。「ゲテモノ化ガス生産」を「不倫」に置き換えるとそのばかばかしさがよくわかるというのがこのサイトの趣旨で,不倫をしたひとはここへ相応のカネを払えば、相殺できる。ゲテモノ化ガス排出権のようにカネでかたがつけられる。というものです。不倫をカネで相殺しても不倫は減らないように,ゲテモノ化ガス排出権をあっちからこっち、取引してもそれで問題を解決しないんじゃないかと辛辣に批判します。メディアはもちろん、イギリスでは国会の質問でも排出権取引のばかばかしさを鋭く指摘している例として取り上げられました。



cheatneutral.com

こんなお為ごかしでお茶を濁している場合じゃありません(とは言え、不倫やいかさまの方はともかく,ゲテモノ化ガスをどうしてもカネで片付けたい人や企業は,はい,気軽にご相談ください。こちらへカネを振り込んでいただければ喜んで植樹させていただきます)。

Saturday, July 05, 2008

庭を食え/eat the view!

米大統領選挙が近づき、ウエッブ上では就任初日、次期大統領に何をしてほしいか、まず何に取り組んでほしいのか,投票が行われています。イラクからの撤退や温暖化への取り組みなどが上位にくるかなと思ったら,現在一番人気は「ホワイトハウスの芝生を食べられる庭に変えろ」という提案です。



(eat the view!より)

食糧生産は農民と呼ばれる限られた数の人間に任せ,残りの大多数の人間は消費者と呼ばれ商業や工業,サービス業に従事する。そういう構造が近代型社会でした。身の回りを眺めれば、どこの誰が作ったのか、どこからどういう経緯でたどり着いたものやら,皆目見当のつきかねる食べ物だらけです。安いから,手軽だからという理由だけでそういう構造をほったらかしにしたまま、安全を求めても無理というものです。鳥フルや狂牛病,偽装にまがい物、生産者と消費者の距離が伸び,忍び込む余地があるところへは何でも忍び込みます。しかも,そういう構造が可能なのは安いアブラがふんだんにあったからで,これからのアブラ減耗の時代にはとてもかなわなくなります。

オイルピークの核心は食糧問題である、それに気づいた人たちが世界各地で,観賞用の景観を食糧生産の場に変える運動に取り組んでいます。食糧生産,食糧供給を他人まかせにせず,自発的に自らの手に取り戻そうともがいています。

北海道に集まる先進国リーダーたちが食糧問題に本気で取り組むならば,まず,自分たちが生産者になる,ホワイトハウスや永田町の芝生や植え込みを菜園に変えるくらいの覚悟を見せてほしいものです。

でも,指導者にはあんまり期待できないかもしれません。指導者やお上によるトップダウンの変革を呼びかけつつ,底辺から草の根行動を起こしてしまうゲリラ活動も必要です。あなたの庭,あなたの町でも街路樹を果物やナッツの木に変えたり,公園の芝生を食べられる景観に変えることに取り組んでみませんか。減耗時代への備えは早めに取り組めば取り組むほど,楽になりますよ。

Friday, July 04, 2008

リン酸ピーク/peak phosphorus.

北海道で開かれる先進国サミットで食糧問題が主要議題として取り上げられるそうです。具体的にどんなことが討議されるのか知りませんが,昨今の食糧危機の原因は安いアブラに頼る近代的な(大規模/単一作物/集約型)食物生産の行き詰まりによるものであり,それを根本から解体し、小規模で多品種な食糧生産体系を作り出さない限り,どんな策も付け焼き刃になるでしょう。



(世界の人口とアブラ生産変遷/エネルギー・ブレティンより)
もうひとつ、食糧問題を取り上げるなら避けて通れない問題があります。原油ほど華々しく注目されませんが、リン鉱石の値段は今年始めに1トン200ドルと,昨年比4倍に値上がりしています。食糧生産への影響は原油より直接的です。仮にアブラのピークが何かの理由でこなかったり、何か魔法の力で克服できたにしても、近代的な食糧生産は大きな問題を抱えています。



(世界人口とリン鉱石生産/エネルギー・ブレティンより)
英タイムス紙は6月23日付けでリン鉱石のピークについて取り上げています。その記事は、オーストラリア人研究者,ダナ・コーデルのリン鉱石はここ30年くらいの間にピークを迎えるかもしれないという研究を紹介しています。オーストラリアでは3月にジ・オーストラリアン紙で報道され,つい先日,オーストラリアABCラジオでも報道されています。

しかし、リン鉱石はすでにピークを過ぎてしまったという研究もあります。アメリカの原油ピークを1956年に予言したマリオン・キング・ハバートの理論に基づく線形化を適用すると、リン鉱石は既に1989年にピークを過ぎてしまったとパトリック・デリーとバート・アンダーソンは報告しています。





(リン鉱石の世界生産/エネルギー・ブレティンより)

農業や庭いじり,植物の生育に関わる人ならご存知のように,植物の生育には窒素やカリとともにリン酸が欠かせません。植物全体の生長、特に葉の生長に欠かせない窒素は、アカシアや豆科の植物のように、空気から窒素を取り込み地中に固定する能力を持つ細菌を根に寄生させる植物を育てれば、手に入れることができます。しかし、リン酸は土や水の中に限られた量しか存在しません。近代的工業的な食糧生産はリン酸をリン鉱石に頼ってきました。これがピークを迎え、減耗していけば化学肥料に頼る農業は行き詰まってしまいます。アブラの代替えとしてバイオ燃料用植物の生産もとてもおぼつきません。

そして、リン鉱石のピークが近代的農業に与える影響は化学肥料だけにとどまりません。リン鉱石は化学肥料とともに近代型農業の双璧をなす除草剤、ラウンドアップなどの原料でもあり、原料の値段が高騰するにつれ,ラウンドアップの値段も急騰しています。

食糧不足の解決策、バイオ燃料生産の切り札として遺伝子組み換え作物の導入を叫ぶ声もあります。しかし、モンサント社などが導入に熱心な遺伝子組み換え作物の栽培にはリン鉱石を原料とする除草剤の使用がセットで組み込まれており,それなしでは機能しません。リン鉱石がピークに達し減耗していく時代に遺伝子組み換え作物はどうやって生育できるのか、問わずにはいられません。

しかし、アブラのピークには切り札はありませんが,肥料としてのリン酸には幸いなことに代わりがあります。しかも,それは、つい何十年前まで日本のどこでも普通に広く行われていた農法です。

20世紀初頭に日本や朝鮮、中国を旅したアメリカの土壌学者,FHキング博士はその著書で東洋に連綿と伝わる農法を絶賛し、その頃アメリカを席巻しつつあった化学肥料をばんばん使う近代型農法との対比で、「四千年も続いた農法」を恒久的な農法(パーマネント・アグリカルチャー)と呼びました。もちろん、キングの著書「東亜四千年の農民(杉本俊朗訳,栗田書店)」はパーマカルチャーの種本のひとつです(もうひとつ、パーマネント・アグリカルチャーを副題とする本には、単年作物ではなく多年生作物を食糧源として見直すことを説くラッセル・スミスの「トゥリー・クロップス(1929年)」がある)。

キングが「永続する農法」と呼んで絶賛したのはまさにリン酸を回収し生産に再利用する農法です。それは人糞を肥料として食糧生産に利用することです。すでに前述のコーデルの提言をうけ、スゥエーデンでは人間の尿からリン酸を回収するために,公衆便所の改装が始まったそうです。うちでは貴重な肥料を無駄に水に流していますが,移住2年目のこれから、なんとか回収策を講ずるつもりでいます。

人糞を肥料にすることだけで食糧危機が解決するはずはありませんが,キング博士を経由しパーマカルチャーを生み出す源流のひとつとなったアジアの「恒久的な農法」はサミットで討論に値する策のひとつであることは間違いありません。

Thursday, July 03, 2008

IEA見通しと日本のマスコミ/Too knackered.

7月になり国際エネルギー機関(IEA)は原油需給の中期見通しを発表しました。
日本のメディアでもあちこちで報道されています。
どれも原油の需給逼迫が続くこと,これからも原油高が続くという趣旨を伝えています。これらの報道はどれも間違いではありませんが今回の見通しで一番重要な部分が欠落しています。

2007年以来,中期見通しはOPEC、非OPEC諸国の生産に関しかなり大規模な下方修正をしてきた。これらの見直しが必要になったのは,平均12カ月と推定されるプロジェクトの遅れ、そして世界全体で平均5.2%の減耗(昨年の4%から上昇)のおかげである。 世界の安定生産を保つためには毎年、日産3.5百万バレルの新しい生産が必要になる。

IEAのプレスリリースより。

昨年の予想では4%だった減耗率を今年の発表では5.2%に修正しています。これは日本のような消費国のメディアにとってはとても大きなニュースなはずです。この率はリチャード・ハインバーグなど、ピークに早くから警鐘を鳴らしてきた人たちの提唱する「オイルピーク議定書」の予想する減耗率をはるかに上回ります。こんな率が14年も続けば生産量は現在の半分に減ってしまいます。

しかも、IEAの報告は生産量について言及しているだけということにも,日本のようなアブラ輸入国のメディアは注視しなければなりません。毎年、「日産3.5百万バレルの新しい生産」がなければ世界の安定生産は維持できない。しかし,アブラ輸入国のメディアが注視しなければならないのは,仮にそれだけの増産が達成されたにしてもそれがすべて国際市場に出回るとは限らないという点です。原油マネーで潤うロシアやサウジなどの産油国では国内消費が増加しており、こんな調子で産油国の経済成長が続けば、アブラが国際市場に出回る量はどんどん減っていきます。

ウォール・ストリート・ジャーナルはIEAが「どんどん悲観的になり、ピーク論者と変わらなくなっている」と伝えています。日本のマスコミはいつになったらピークに気がつくのでしょうか。

Thursday, June 19, 2008

サウジの増産?/another hot air?

サウジアラビアで来週、産油国と消費国の国際会議が開かれます。それを前に,潘基文国連事務総長直々の要請もあり,サウジアラビアは原油生産を7 月から日産970万バレルに引き上げることを発表しました。

投機筋は量が増えるというニュースに反応し,原油価格は一時下がっています。メディアも原油市場の安定につながるのではないか,と大きく報道しています。
しかし、それが需要と供給の逼迫状態というファンダメンタルを解決するかどうか、すなわち恒常的な原油高を解消するかどうかと言えば,かなり疑わしいと言わざるを得ません。

サウジの増産量は5月の水準から55万バレル、これが実現すれば確かにここ30年最高の生産になります。しかし、これは現在世界で消費される量の1%にも満たない微々たる量にすぎず、これだけで逼迫状態を解消するとは思えません。

もう一つ、メディアは見落としていますが,たとえ,これだけの増産があったとしても、それがそのまま国際市場に出回るとは限らないということです。



これは2005年から07年にかけ,「BP2008年世界エネルギー統計」をもとにネット・オイル・エクスポートが消費が増加した国、そして減少した国のトップ10をグラフにしたものです。

一番増加したのは中国で,減少したのは日本。経済の空洞化をそのまま象徴するようですが,二番目に国内消費が増加したのはサウジアラビアです。

原油価格の高騰で懐が潤い,国内消費が加熱していることがこのグラフから見て取れます。一日あたりの生産が970万バレルに達するのは「1981年8月以来(米エネルギー情報局)」ということですが、当時と同じだけの量が国際市場にでてくるのかどうか。きわめて疑問です。

サウジの増量に関しては量も問題ですが,質の問題もあります。
ロイター・インディアはシンガポール発で,16日,サウジのアブラはこれ以上いらないという声がアジアの精製所からあがっていることを伝えています。これ以上の精製キャパがないという量的な問題もありますが,サウジが増産するというアブラの質の問題があるようです。記事の中ではちょっと混乱していますが,どうやら精製に手間とカネののかかる重質の原油が増えているようです。

どうやら今回の「サウジ増産」のニュース,量も微々たるものなら,しかもそれすら現実にガソリンとして市場に出るのかどうかすら怪しい。ということで、原油の高騰,ガソリン高騰はまだまだ恒常的に続きそうです。

Wednesday, June 18, 2008

日本の食糧事情/the end of cheap food.

世界各地で食品の高騰が続き,暴動や死傷事件に発展しています。国内農業を犠牲にしてもグローバル化を推進しようともくろむ人たちの当てにするチープブードは、もうどこにもないことがますますはっきりしてきました。

問題が世界的なものでもあるにも関わらず,国内には「日本人は米を食べれば食料危機は解決する」なんてちんぷんかんなことを言う人もいます。確かに戦後日本人の食生活は変わり,米あまりの状態が続いてきたことは事実です。そして食のローカル化という観点からも、輸入される食糧に頼らず,国内の気候に適した作物を主体とした食生活に切り替えることに超したことはありません。

しかし,現在,米が余っているからと言っても国内に国民を養えるだけの米が作れるとは限りません。現在世界を襲う食料危機の元凶はオイル・ピークにあります。安いアブラに頼ってきた社会,産業社会は根本からその存在を揺すぶられているのです。食糧は安いアブラがあったからで、それが手に入らなくなるとき、当然高騰します。

近代的な食糧生産はトラクターなどの農機、輸送だけでなく、水田から水路にいたる「農地改良」、「農道」の整備、農薬、除草剤など,いたるところに大量のアブラが投入されています。現代日本の米作りは篠原信が指摘するように石油を食料に変えてきただけで,アブラが抜けていく時代,生産レベルを維持することは到底できません。 篠原は「1キロカロリーのお米を作るのに石油を2.6キロカロリー使う」と試算し、石油に頼らなければ日本の食糧生産能力は3000万人を養うのがやっとだと結論しています。

もちろんピーク以降も、これまで使ったのと同量のアブラが残っており,すぐに石油抜きになるわけではありません。したがって,今すぐに「食料危機」になるということではありません。しかし、現在の食糧供給体系は驚くほど脆弱であることは記憶しておいたほうがいいでしょう。在庫をを極端に削り、安いアブラをふんだんに利用する配達網に頼る「カンバン方式」を食糧供給にも導入したおかげで、経済効率は上がり、食糧価格は下がったかもしれませんが,現在の食糧供給体系はちょっとのことで簡単に崩壊しかねません。

日本よりも食糧自給率が高い英国でも、ブレア政権の田園庁長官をつとめたキャメロン卿が「無秩序まで9食」しか離れていないと警告しました。つまり,ガソリン供給が途絶えるなどして食糧供給体系が止まってしまえば,わずか3日で法も秩序も保てなくなるということです。さてはて,日本は3日持つでしょうか。

無秩序状態に陥るのを避けるにはどうしたらいいのでしょうか。

個人では3日くらい店に行かなくても食べていけるように備蓄を心がけることです。そして9食を10食、11食とのばしていく。食糧の備蓄は乾物だけでなく,菜園や果樹などの生産基盤も含まれます。手近な場所でみずから食糧を生産していくことです。少しずつでもこれを増やしていけば心理的にもかなり楽になります。他人や他の場所,他の国に食糧をなるべく頼らないように、一人ひとりが自覚し,自らの食の生産に関わり、自給率を底上げしていくことで、無秩序に陥る危険はどんどん少なくなります。そして,共同菜園や食糧の交換などを通し,隣近所に強い絆を普段から作っておけば,万一食糧危機になっても無法状態にはならないでしょう。また、生産を手伝うなどして、プロの百姓とも絆を作っていく。ピーク以降のエネルギー下降時代に、アブラをじゃぶじゃぶと水田に注ぎ込むような食料生産はできなくなるので,それに備えた人間関係を作っていくことです。

さらに政府には,チープブードを海外から求め、国内農業を切り捨てるような食のグローバル化戦略を今すぐ取りやめることを要求する。農水省には南氷洋の「調査」捕鯨などに税金を無駄に使うのをやめ、国民が食のローカル化に取り組むのを助けるためカネや資源を投入するよう要求する。何しろ,国民の食がかかっているんですから。グローバル化した食糧供給の見直し、食のローカル化はすべての国民が今すぐ取り組まなければならない焦眉の課題です。

Friday, June 13, 2008

アブラは高いか?/Oil expensive?

ガソリン高騰がどこの国でも話題になっていますが,さてはて,これは本当にそんなに高いのでしょうか。

「熱量的にみれば、1リットルのガソリンは肉体労働3週間分に相当する。現在の価格はまだまだ安いんじゃないか。20ドル,200ドルでも安いんじゃないだろうか」

エネルギー・ブレティンの編集者,アダム・フェンダーソンはオーストラリアのオンライン雑誌,クライキーとのインタビューでそう語っています。

原油価格/ガソリンの価格が上昇するたびにいろいろな「理由」が挙げられます。どこそこの政治不安,地政学的な緊張,ハリケーンなどの自然災害,テロによる施設の破壊、聞き分けのない労働者のスト、石油会社が暴利を貪っているからだ。など。最近よく耳にするのは投機マネーの流入です。

これらはどれも正しいのでしょうが,それだけが理由ではありません。

opecメンバーであるリビアのショクリ・ガネム国営石油会社代表は最近のインタビューで「投機マネーの流入はたしかに重要な役割を果たしているが,それが唯一の理由ではない。ドル安,地政学,製油の遅滞,需要の増加,そしてオイルピークが間近に迫っているからだ」と発言しています。

この現実を端的に示すのは油田発見のグラフです。


オイルドラムより)

重要な点は,これまでにもこういうことは幾度もあったが,さしたる影響は及ぼさなかった。それなのに,最近はちょっと何かあるたびに,価格に敏感に反映せざるを得ない。過敏にならざるを得ない最大の理由は需要と供給の逼迫です。安全弁の役割を果たしてきた余剰能力を持つ生産地がなくなり、「非常事態」があるたびに市場は敏感に反応します。言い換えれば、投機マネー対策をしてもそれは一時しのぎにしかならず,アブラの価格が下がっても長続きはしない。世界はアブラの減耗時代といういつまでも続く非常事態に入ったわけで,そういうファンダメンタルを理解して、これからの暮らし方を模索しなければなりません。

アブラ減耗時代という長期的な非常事態に備えるためには20年以上の年月が必要になる。2005年にアメリカのエネルギー省の要請でまとめられた「Peaking of World Oil Production: Impacts, Mitigation and Risk Management(世界的な石油生産ピークについて: その衝撃、緩和、そしてリスク管理について)」という報告書はそう結論しています。MISI社とSAIC社のベズデック、ウェンドリング、ハーシュの3人がまとめた報告書(通称、ハーシュ報告書)は「世界はオイル・ピークを迎えつつある」と2年以上前に警告しています。

そのハーシュは5月20日(まだ原油価格が127ドル程度で安かった時代!),CNBCとのインタビューで,現在のガソリン高騰なんかまだまだ序の口(「古き良き時代として思い出されるだろう」),数年以内には3倍から4倍にあがる,いくら極北や深海を探索し、採掘に投資しても間に合わないと述べています。

まだまだ安いアブラが手に入るうちに,長期非常事態への抜本的な対策に取り組まなくてはなりません。

Monday, June 09, 2008

地域社会の再ローカル化/Relocalise now.

原油価格高騰や食料価格の高騰など、エネルギー下降時代が本格的に幕を開けたようです。それにつれ、これまでほおかむりを決め込んできた主流メディアでもオイル・ピークを取り上げることが多くなってきました。

現在世界中では一日約8千5百万バレルのアブラが消費されていますが、早くからピークに警鐘を鳴らしてきたアイルランドの地質学者、コリン・キャンベルによれば、この量は220億人の奴隷が朝から晩まで,24時間,ぶっ通しで働く量に匹敵するそうです。ものすごい量ですが,これからスピードをぐんぐんと増していくピーク以降の下り坂では,これらの奴隷の数ががどんどん減っていくことになります。クルマでどこかへ出かけるときや、地球の裏側から届けられた食料を口にするときは、何人もの奴隷の顔を思い描くよう心がけています。

アブラというヤク漬けの生活からアブラを抜いていく作業は、時に大きな苦痛を伴います。一気にがくんと飛び降りようとすれば,肉体的にも精神的にも怪我をしかねません。奴隷を幾人ずつでも,自ら進んで解放していくのか,それとも、もう奴隷は使えないってお上が「奴隷解放宣言」するのを待つのか。はっきりしていることは,これだけの奴隷を肩代わりすべはない、代替えを探そうとすれば,そのしわ寄せが玉突き連鎖で押し寄せるということです。

うちではゆっくり急ぎながら,奴隷を一人ずつ解放する作業に取り組んでいます。

食料生産でもそうですが、自分や家庭でできることには限りがあります。今年の夏は気候に恵まれ,なんとか8割ぐらい、自分の口にする食物を自宅でまかなえましたが,すべてをまかなうなんて,考えただけでくらくらしてきます。運輸/交通でも10キロくらいの範囲なら徒歩や自転車を利用できますが、それ以上になるとバスや鉄道など公共交通の助けが必要になります。他人をまず、当てにするのではなく,自分の生活からアブラを抜いていく。一人一人、個々の家庭が奴隷解放に創造的に取り組んでいく。それが基本ですが、自宅を要塞化するのではなく、近隣社会や国全体の脱アブラ化を働きかけていくことも大事です。

とはいうものの、人口わずか300人の村で何ができるのか。

10ヶ月ほど前に引っ越してきてみると,村にはエネルギー問題に関心を持つ人の集まりがありました。一国のエネルギー/気候変動担当大臣を村の公民館に呼んで話をさせてしまうような団体です。右も左もわからないのに,到着早々その活動に混ぜてもらい,専門家を招いた講演会や映画の上映など啓蒙活動をする一方,安いアブラに頼るグローバル化でつながりの薄れた地域社会を再活性化する作業に参加しています。

マーケットの開催に協力したり,食品の共同購入グループを始めたり,したりして、現在は糞もみそも一緒くたにゴミ捨て場に送られている村のゴミ/資源回収問題にもピーク/環境ゲテモノ化の観点から積極的に取り組んでいます。




先週は国のあちこち、11カ所で「世界環境の日」のイベントが開催されましたが,わが村でも公民館でエネルギーエキスポを開催しました。




あちこちの新聞で事前に宣伝されたせいか、80キロ離れた人口15万の都市などからもたくさんの人が訪れ、小さな村のイベントとしては画期的とも思える800人近い参加者で一日中にぎわいました。
オタゴ・デイリー・タイムズより)






ソーラー発電、雨水タンク,風力発電、ソーラー温水など、企業が最新の商品を並べる横で,昔ながらの足踏みミシンやら手動のサイダー・プレスなど温故知新技術が展示されました。ピーク以降の時代/環境ゲテモノ化時代のこのごろ、脚力を利用する自転車は輸送/交通手段の花形ですが、当日も3、4人の銀輪有志が遠路はるばる30キロ離れた人口1万2千の町からやってきて、3輪や廃物利用のリカンベント、電動アシストなどの試乗が人気を集めました。自分もいくつか乗ってみましたが、今利用している自転車がお釈迦になったら、ぜひリカンベントを手に入れたいなあ。





以前,ここでも振れましたが、現在電力などに動力を依存する器具を一つ一つ、人力(や動物力)で作動するものに変えていく,壊れてもすぐに自宅や近所で修理ができるものに変えていく,そういう適切技術に切り替えていくことが急務で、うちからは脚力利用の粉挽き機と太陽を利用した果物乾燥機を出展しました。

粉挽き機はエクササイズ・バイクに市販のミルをつけたもので,小麦などを挽くことができます。それまで腕力では2斤分の小麦粉を得るために1時間ほど汗だくになっていましたが、脚力利用だと20分ほど。ほとんど汗もかきません。小麦粉は挽きたての方が味も栄養価も高いようです。

パンはどこかで誰かが育てた小麦をどこかの誰かが粉に挽き,どこかの誰かが焼いたものを店で買う、それが当たり前だと思った頃から比べると,はるかに自分の食に関わるようになりましたが,来シーズンは小麦を育ててみたいなあ。泥を練ってオーヴンも作りたい。どんどん,楽しみが広がっていきます。

このエクスポ以外にも村の小学校の庭にリンゴの植樹をしたり,金曜の夜には近所の産品を原料とした晩餐会も開かれ60人ほどが集まりました。

まだまだ途についたばかりで、しかもみんながみんなというわけでは決してありませんが,うちの村ではピーク以降の時代をしっかりと認識し,対応を始めています。地域の絆がぐんぐんと強まっています。これからの時代に備え,あなたの町や村,市の再ローカル化はすすんでいますか?

Friday, January 25, 2008

山頂の警告/a peek from the peak.

「2015年以降,簡単に手に入れられるアブラやガスの供給は需要を満たしていくことができないだろう」

「これ以上市場に出せるアブラがあんまりなければ,できないことをやれってのは難しいじゃないか」

これはどちらもピーク論者の発言ではない。

ひとつめはシェルの最高経営責任者,イェルーン・ヴァン・デル・ヴェールが1月22日付けですべての社員に向けた社内メッセージの中の一文。

「シェルのエネルギーシナリオ」というタイトルの文章は二つのシナリオを検討している。ひとつは「駆け込み」であり,もう一つは「青写真」。駆け込みシナリオはそれぞれの国がエネルギーを巡る競争を繰り広げ,温暖化を悪化させ,国と国が対立するシナリオ。「青写真」のほうは、国際的な炭素取引が設立され,国際協調のもとでエネルギー問題に取り組むというもの。この二つのシナリオについては 19日付、ダボスでの世界経済フォーラムでのインタビューという形でニュー・ヨーク・タイムズでも報道されている。

メジャーの一角を占めるアブラ会社のトップが2015年までにピークが訪れることを認めている。

ふたつめはちょいと古くなるが,16日付,アメリカのABC放送のインタビューで、サウジ訪問について聞かれたブッシュ米大統領の発言だ。

サウジの国王になんとかしてくれと言ったのか,と問われ,これ以上のアブラがないってのに,ない袖を振れって言っても仕方がないじゃないか。

公式には認めていないが大統領はピークをご存知のはずで,こんな形で潜在意識がぽろりと顔を出す。

今月のこの二つの発言だけを見ても,世界の経済のトップ,政治のトップはピークを認識している。

気候ゲテモノ化同様,ピークがくるかこないかなどと議論する段階は既に超えており、政府、自治体、企業,そしてひとりひとりが社会や生活から積極的、急速にアブラを抜いてかないと大変なことになる。

Wednesday, January 16, 2008

捕鯨関係短信/how low must you go?

共同船舶社の捕鯨活動に直接行動で抵抗するグリーンピースとシーシェパードの船が日の丸捕鯨団を捕捉し、 南氷洋で小競り合が始まった。陸の上ではオーストラリア人が日本の捕鯨に反対するのは人種差別が根底にあるとするユーチューブに投稿された「有志」制作のビデオを巡り緊張が高まっているところへ,オーストラリア連邦裁判所が「捕鯨違法」判決を出し,森本稔鯨類研究所理事長の火に油を注ぐような投稿が掲載されている。





●15日にはシーシェパードのメンバー2人が,第二勇新丸に乗り込み,拘束されている。日本の報道では「妨害・破壊活動を展開する恐れがあったため、乗組員が取り押さえた」と水産庁の発表だけを引用している。

シーシェパードは2人の乗船の目的は捕鯨が違法であることを訴える手紙を渡すことだと発表している。手紙には「この乗船が犯罪を犯すつもりはなく,窃盗や乗組員に危害を加えたり、船の破壊を意図するものではない」とはっきり書かれている。

英国籍とオーストラリア籍のシーシェパードのメンバー二人が乗船するところ,そして取り押さえられる光景はビデオで見ることはできる。

(これらの写真やビデオはシーシェパードの撮影)

当時17ノット(時速30キロ)で航行する船から,「乗組員は二人を海に突き落とそうとし,それから隔壁甲板に縛り付けた。二人は暴行を受けた後,レールに縛られ,一時は腰まで水に浸かったほどだ。それから上部甲板に移され,レーダーマストに2時間ほど縛りつけられた」とシーシェパードの抗議船、スティーブ・アーウィン号からシドニーモーニングヘラルド紙に説明している。

最新報道によれば「日本政府は二人の釈放に合意」したといわれているが、具体的な内容は明らかにされていない。

このシーシェパード、日本のクジラロビーは「テロリスト」だ「海賊」だと罵声を浴びせるが,1月10日,この団体の顧問にイアン・キャンベル元上院議員が就任した。昨年の総選挙で敗北したハワード政権で2004年から2007年まで環境大臣をつとめた人。昨年5月に政界引退を発表した。環境大臣時代はは温暖化への取り組みなどにはあまり熱心ではなかったが、クジラとなると目の色が変わっていた人だけにあり得る動きだ。

日本のクジラロビーも、友好国の元大臣が参加する団体をいつまでも「海賊」呼ばわりすることはできないだろう。

●15日付けのフェアファックス系新聞に森本稔が寄稿し,「調査捕鯨」の正当性を主張している。

森本はいつものパターンをヒステリックな調子で繰り返すだけで、クジラを屠殺するのが野蛮だというが「オーストラリアの原住民だってジュゴンを捕獲しているじゃないか」と言い出す始末。「オーストラリアの人間が「かわいい」理由で捕鯨に反対する権利は認めるが,他の国が合法的に行う捕鯨をやめさせる権利はない」と結んでいる。

●同じ15日,オーストラリアの連邦裁判所は日本の捕鯨が同国の法律に違反するとの判決を下した。オーストラリアは2001年から自国の排他的経済水域で「クジラの聖域」を設置しており、日の丸捕鯨船団(共同船舶)のクジラ屠殺行為はそれに違反するとの判断。

これは、南極沿岸がオーストラリアの領有であるという主張に基づいており、だから、そこに自国の法律や司法が適用されるという判断。しかし,南極の領有そのものが国際的に認められておらず、領有は隣国のニュージーランド、チリやアルゼンチンなども主張しており、オーストラリアの主張する「クジラの聖域」も国際的に認知されたものではない。

裁判所は判決に実効力はないとしているが,訴えを起こした動物保護団体ヒューメイン・ソサエティ・インターナショナルは連邦政府が共同船舶の捕鯨監視目的で派遣しているオセアニック・バイキング号にこの判決を実効に移すよう求めている。

Tuesday, January 15, 2008

ガソリン車時代の終わり/the end of petrol driven cars.

「アブラの需要が供給を急激に上回っていることは疑いがないことで、ここしばらく,そういう状況が続いている。企業としては、これに代わる駆動力源を開発する社会的義務がある。電気自動車が中期から長期的な答えであろうか。確かにそうだ。しかし、アブラへの依存を大幅に減らすため、そのほかのことにも取り組んでいかなくてはならない」
確信犯のオイル・ピーク論者の発言かと思えば,他ならぬGM社のリック・ワゴナー会長兼最高経営責任者の発言。デトロイトで開かれているモーターショーの記者会見における発言をフェアファックス系の各紙が報道している。

世界最大のクルマメーカーのトップがピークを認め,ガソリン車の時代は終わりで、これからは電気自動車だ,そう発言する意味は大きい。

GMがピークを認めることができるのは,ピークの認識が「技術的に解決可能な輸送に関する問題」としてとらえており、それを解決する策として,既に2010年の販売をめどにvoltという電気自動車の開発に取りかかっていることがあるだろう。

それにしても、同じ記者会見がソースだと思われるが,日本の報道機関は「景気低迷が懸念」というようなレベルの報道しかしていない。

ことの重大さがわからないようだ。

Monday, January 14, 2008

輸出ピーク/peak export

現時点では90ドル台に戻っているが、原油価格は新春早々,瞬間風速で1バレル100ドルを超した。これを契機に、これまで以上の主流メディアも(懐疑的にせよ)ピークを取り上げつつある。
アブラの価格についてはこれが天井であり,これからは下がり続けるという楽観的な見通しもあれば、まだまだあがり続ける,今年末までには150ドル、いや200ドルだなんて予測もある。

昨年10月に亡くなったアリ・サムサム・バクティアリによれば「不確実さ」はピーク直後の転換期の一つの特徴であり、今年もアブラの価格は安定しないだろう。バクティアリの2003年に発表したアブラの生産動向予測は,これまでのところ誰の予測よりも正確である。今年もアブラの価格は流動的に推移することは間違いなく、それはとりもなおさず,我々の呼吸する時代がピーク以降の転換期であることを証明している。

アブラの価格は今年末に60ドルくらいに下がる可能性もあるが,来年には200ドルに跳ね上がっていても少しもおかしくない。

エコノミスト誌は「ピーク・ナショナリズム」というタイトルでアブラの価格が100ドルを超した理由を説明している。

エコノミスト誌は地質学的な理由によるオイル・ピークには懐疑的で,アブラの価格上昇を地政学的、政治的な理由に求めている。エコノミスト誌は「ナショナリズム」と呼んでいるが、基本の論調は、以前ここでも触れたウォール・ストリート・ジャーナルやニュー・ヨーク・タイムスの記事と同じで、産油国がアブラの売り上げで潤い、消費が増加することにより,輸出に回るアブラが減るということだ。

これはやはり、以前に指摘したが、石油地質学者のジェフリー・ブラウン(ちまたではウエステキサスのハンドルで知られている)が2年ほど前から言い続けていることであり、目新しい内容ではない。

そのブラウンが、国際市場に出回るアブラの量について、サミュエル ・フーシェ(ケバブのハンドルで知られている)との共同研究を先週発表した。国際市場に出るアブラの半分をまかなう輸出5大国について,それぞれ生産量の減耗と国内消費の増大の傾向、それに伴う輸出量の減耗を調査したものだ。

オイル・ピークというと識者のあいだでも、生産に話が集中しがちだが,日本やアメリカ,ニュージーランドなどの輸入国にとって気がかりなのは市場に出回るアブラの量だ。生産量そのものも問題には違いないが,極端な話,どれだけ生産が増えても、輸出市場に出てこないことには輸入することはできないからだ。



メディアを含め,ピーク論者の多くはグラフの赤い線ばかりに集中しがちだが、下の方からじわじわと忍び寄る緑の線が輸入国にとっては深刻な問題になる。

「2000年から05年にかけ,これら5カ国の需要は年率3.7%で伸びている。2005年から2006年にかけては5.3%に跳ね上がった。2005年から2006年,これら5カ国からの輸出総量は年率3.3%で減少している。06年から07年にかけて減少がさらに加速されるのは間違いない」

生産減耗と消費増加の結果,世界市場に出回るアブラの量は激減していく。


二人は次のように結論している。

●2005年にこれら5カ国から輸出されたアブラは2300万バレル。それ以後の2年間,これらの国からの輸出は毎年100万バレル減っている。この率で「輸出減耗」が続けば,5大国から国際市場に出回るアブラの量は2031年前後にはゼロになる。アブラの世界市場はますます薄くなる。

●個々の油田同様に、小さな産油国がこれら5大国の穴を埋めることはむずかしい。小さな産油国は生産ピークに到達するのが早く,ピーク以降の減耗率も大きいからだ。

●アメリカにとり二番目に大きなアブラの供給国であるメキシコからのアブラ輸出は2014年にはゼロになる。

●この結果,消費国における消費の激減がない限り,アブラの値段は上昇し続ける。産油国は次第に薄くなるアブラの国際市場で競い合い,価格を押し上げる。

二人がことわっているように,この研究はあくまでもモデルであり,シュミレーションにすぎない。この研究は生産減耗や消費の増加が一律であり,しかも、まず、国内での消費の増加が最初にまかなわれ、その余剰が輸出にまわされるという「国民経済」の前提に立っている。極端な例では「飢餓輸出」にみられるように、国民のことなんかおかまいなし,高い国際価格で売ろうという「企業努力」がなされるはずであり,ことはそう単純ではないだろう。

しかし,アブラのほとんどを輸入に頼る国にとって深刻さはかわらない。近代経済、現代社会のの血液であるアブラの国際市場が薄くなる前に,将来に向けた恒久的な投資を行わないと、大変なことになる。

日本やアメリカではこの冬「灯油券」が発行されているが,そんな付け焼き刃の応急措置はきわめて近い将来に用をなさなくなる。まだ,手元に資源があるうちに,灯油がなくても過ごせるような家作りというような、より恒久的な措置に取り組むべきだ。