Saturday, April 07, 2012

対麻薬戦争は失敗


オーストラリアでは1953年までヘロインも合法だった。それが非合法化され大麻、コカイン、スピード、アイス、エクスタシーなどすべての麻薬とひとくくりにされ、刑法で取り締まられる「対麻薬戦争」が始まった。「対麻薬戦争」では麻薬所持者、使用者は警察に取り締まられ、司法に裁かれ、罪人として監獄につながれる。この戦争で麻薬は撲滅できたかと言えば逆で、ここ30年ほど、このやり方で問題は解決しないのではないか、失わなくていい命を奪っているのではないか、要らないところに税金が濫用されているのではないか、というように根本的な政策の転換を求める声があがってきた。「対麻薬戦争は失敗であり、われわれはこどもたちを殺し、犯罪者にしている」と結論し、すべての麻薬の非犯罪化を求める報告書が4月3日に連邦議会に提出され、麻薬をどう扱うのか、社会のなかでの議論がいっそう高まっている。

この報告書を作成したのはオーストラリア21というシンクタンクで、福祉問題の専門家であるボブ・ダグラス名誉教授とデビッド・マクドナルド(社会調査コンサルタント)。その作成には二人の元州首相、上院議員のボブ・カー外相(元ニューサウスウエールズ州首相)、ジェフ・ギャロップ元西オーストラリア州首相のほか、ミック・パーマー元連邦警察長官、元ニューサウスウエールズ検事総長のニコラス・カウドリー、ポール・バレット元防衛次官、マイケル・ウッドリッジ元連邦厚生大臣などそうそうたる顔ぶれが関わった。

注意しなければならないのは、合法化と非犯罪化で、報告書は合法化は求めていない。麻薬の売人と個人の使用者をわけて捉え、少量を所持する使用者はこれまでのように犯罪者として刑務所に閉じ込めるのではなく、交通違反のように罰金を科し、カウンセリングやリハビリなどを通して健康、福祉の問題として扱うべきだと提言している。

ニューサウスウエールズ州で精神疾患に苦しむ人の3割から、研究によっては8割が薬物を使用していると言われている。ただでさえ社会からはじかれた人々は、薬物所持が見つかることをおそれ、治療にもなかなかかかろうとしない。また、刑務所でそれらの疾患が悪化することもある。

ワシントンDCのシンクタンク、ケイトー研究所によれば、10年前に薬物を非犯罪化する前には、そんなことをすれば、リスボンは麻薬を求める旅行者のメッカになるだろうとか、麻薬使用者が激増するに違いないと怖れられたが、いずれも実現していない。

麻薬の使用が非犯罪化されてからもポルトガルの使用者はほとんど減りも増えもしていない。ヘロインを週に一度以上射つ人の数は2001年から07年の間に1%から1.1%に増えた。大麻に関してはヨーロッパで使用者が少ない国で、ほかのほとんどの薬物でも使用が減っている。一方、麻薬に誘発される問題は減っている。エイズ患者、HIVにかかる人の数は激減した。HIVの感染はヘロイン、コカインなど射ち込むための注射針を使い回しすることが大きな原因だったが、感染者すの数は1400から400に減った。過剰摂取でのたれ死にする人の数は年間400人から290人に減った。HIV感染者に占める中毒者の割合は56%から20%に減った。その一方、治療プログラムに参加する人の数は1999年には6000人だったのが、2008年には4倍の24000人以上が参加した。

中毒者が治療を拒否する最大の理由は逮捕を怖れるからだと言われている。ポルトガルでは少量(個人使用の10日分)の所持が見つかった場合、その薬物は没収され、弁護士、医師、ソーシャルワーカーからなる委員会に送られ、罰金、カウンセリング、コミュニティワークなどのなかから適切な罰則を言い渡される。いずれにしても逮捕され刑務所につながれることはなく、犯罪歴もつかない。

ポルトガルの経験は使用者が救済されるだけではない。社会、経済的なメリットも見逃せない。たとえば、オーストラリアでは年間に30億ドルが「対麻薬戦争」に費やされている。その75%は刑の執行(警察、司法、刑務所などのコスト)に使われ、予防や治療などにはわずか18%が回るだけだ。ポルトガルのように非犯罪化すれば、治療を必要とする人に膨大な予算をまわすことが可能になる。

薬物を包括的に目の敵にすることで、警察は間違った敵を追い回し、街や家庭が戦場になり、社会を蝕んできた。非犯罪化すれば、警察は罪のない個人を追い回すのではなく、犯罪組織や売人組織という、社会の本当の敵を追いつめることに時間や労力を費やすことができる。「対麻薬戦争」で潤ってきた組織犯罪は非犯罪化で収入が減ることは疑いない。当局が取り締まりに躍起になるにつれ、殺人事件や暴力沙汰が多発してきた。南米諸国のなかにもそれに音をあげて非犯罪化を検討する国がある。

カー外相は州首相時代の経験から、いくつか、法律で禁止された麻薬の非犯罪化が必要だと発言する。特にカーが言及したのは大麻の使用だ。
「警察が大麻使用者の取り締まりに血眼になるのは、有効な時間や労力の使い方なのだろうか。自分が州政府に関わっていた時、警察は駅で警察犬を使い大麻使用者を捕まえようと躍起になっていた。被害者のいない犯罪に警察力を使うよりも、例えば公共交通に安心して乗れるようにするとか犯罪組織が牛耳る地区を一掃する、そういったことの方が警察力の適切な使い方ではないかと思ったものだ」

オーストラリアでは西オーストラリア州が最近、再び、犯罪化したが、首都特別地域(ACT)、北部準州、南オーストラリアで個人使用量の大麻所持は非犯罪化されている。白旗を揚げるのはどんな戦争でも勇気がいる。しかし、泥沼に足を取られ負け戦を続けることは間違っている。税収が減り、限られた警察や司法の予算で効果をあげ、死ななくてもいい人間の命を救うためにも、間違った敵を相手にした「対麻薬戦争」は今すぐ、やめなければならない。間違った戦争をやめるための議論が、少なくとも、オーストラリアでは正式に始まった。

天然ガスは100年分あるのか

福島原発事故以降、電力各社は原発の再稼働がままならないまま、ほかのエネルギー源へのシフトを迫られている。なかでも天然ガスへの依存が増えている。脱原発論者の中にも天然ガスがあるから全部の原発を止めても大丈夫だと主張する人もいる。世界的には2005年から原油生産が天井に突き当たった感じで生産が伸びず、原油価格の高騰がつづいてきた。それを受け、玉突き状に天然ガスの需要が増えている。
増加する天然ガス需要に応えるように天然ガスがたっぷりとあるかのような楽観論が広がっている。4月5日付けの東京新聞も「埋蔵量は40年分/代替エネに日本期待」という見出しでアメリカのシェールガス・ブームを報告している。シェールガスというのは頁岩層から採取される天然ガスの一種で、埋蔵量ので1/3を占めるといわれ、今世紀にはいり特に注目されている。従来のガス田ではないので非在来型と呼ばれ、採取用にフラクチャー(割れ目)をつくるのでフラッキングと呼ばれる技術が導入されるようになって、浸透率の低い頁岩層からの商業的な生産が可能になったガスだ。ガス鉱区の一つ、バーネットで竪坑による生産は1982年に始まっていたが、水平採掘と高圧水や化学薬品、泥などで割れ目を開くフラッキングの導入でシェールガスの生産は飛躍的に向上した。ガス櫓の数は2003年に3000だったのが現在は9000に増加した。

このシェールガス・ブームを受け、オバマ米大統領は1月末に遊説先のラスベガスで「我々の足元には、アメリカを100年支えられるほどの天然ガスが眠っている。我々は、天然ガスにおいてはサウジアラビアだ。大量の資源を手に入れたんだ」と高らかに宣言した

だが、はたして天然ガスは本当にそれほどの量があるのだろうか。天然ガスは膨大な埋蔵量があることは間違いないが、オバマ大統領がいうように「アメリカを100年支えるほど」もあるのだろうか。東京新聞のいう「40年」の出所は分からないが、オバマ大統領の「100年」については、元ネタはどうやら「ガス可能性委員会(PGC)」が2011年4月に発表した報告書だと思われる。
この報告書はこれから人間が手にできる天然ガスの量を2,170兆立方フィート(tcf)と見積もっている。それを2010年の消費量である24tcfで割ると95年になる。オバマ発言にみられる「100年」はここが出所だ。この報告書の「100年分近く」が一人歩きしている。
この報告書をまとめたPGCとはいったいどんな団体かというとガスの業界団体で、委員長のLarry M. Gring自身、Third Day Energy LLCというテキサスのガス会社の社長だ。


というわけで、この報告書そのものが業界に都合のいい内容のものであり、そこに書かれている数字もそのまま真に受けるのではなく、投資を呼び込むためのものと理解した方がいいだろう。

細かく見るとまず2,170兆立方フィート(tcf)という埋蔵量だが、このなかには「確認されたもの」、「可能性があるもの」、それだけでなく「もしかすると採掘できるかもしれないもの」がすべて含まれている。この数字にはほとんど確実に手に入りそうなものから、どこかにあるかも知れないものまでみんな含まれているのだ。存在が確認され採掘が確実なものに限ればわずか273
tcfにすぎない。仮にその全部が採掘できたにしても、2010年の消費量で計算すれば、たかだか11年分にしかならない。東京新聞の「40年」にも遠く及ばない。「可能性があるもの」は536.6
tcfで、これは現存するガス田に確認はされていないものの、可能性があるのではないかという量。「未発見のガス田」が687.7
tcfで、これは何かというと、まだ発見されていない新しいガス田からの量。どこかにあるだろうが、まだ見つかっていないガス田を見込んだ数字だ。そして最後の518.3
tcfはもっときわどいspeculativeという分類だ。投機的とか事実に基づかないことを表す言葉で、もしかすると、どこかにあるかも知れないくらいの感じ。さらに176
tcfが石炭層にあるんじゃないかと思われるガス。当然だが、「確実」に比べると、どんどん希望的な観測度が強まっていく。もう一度繰り返すと、確実に採掘可能なもののすべてが採掘できたにしても、たかだか11年分にすぎない。「100年分」だとか、「40年分」という数字も中身をしっかりと見てみれば、業界の希望的観測にすぎないことが分かり、かなり危なっかしいことがわかる。
また、「100年分」とか「40年分」という時に採用される消費量は現在のものであり、それが増加することは見込んでいない。PGCの報告書では、天然ガスは二酸化炭素の排出量が少ないから、石炭に代わり発電に使うとか、トラックの燃料にするとか、消費の増加を訴えている。ガス推進勢力は投資を呼び込みたいのだが、ガスにエネルギー源をシフトすれば、いったん作った設備は変えられない。ガスを使い続けるしかない。そして、消費量が倍増すればたとえ「100年分」あるガスも50年しか持たないことになリ、11年分は5年半しか持たない。天然ガスも万能の切り札ではない。